野楽力研究所

近くの自然で野楽力を高めましょう

東大和市立野山北公園・・・令和6年3月22日

 あちらこちらの公園でカタクリが咲き始めました。ここ数日、強い冷たい北風が吹き、咲き始めた花が首をすぼめてしまいました。ここ野山北公園のカタクリも寒さに花が開かずに閉じたままのものが多くなりました。ミズバショウも温かい風が吹くのを待っているようです。ネコノメソウも目を開くタイミングを見ているようです。今日の様子です。(写真をクリックすると拡大されます)

(↑上の写真)左=公園入口の池、中=カタクリの群生する北斜面、右=カタクリ(片栗)

(↑上の写真)いずれもカタクリ(片栗)

 カタクリ(片栗)は、ユリ科カタクリ属。『APG牧野植物図鑑Ⅰ』によると「日本各地、およびロシア極東の温帯から暖帯に分布する山中に生える多年草」とあります。『万葉集 植物さんぽ図鑑』(木下 武司著)によると「(カタクリの)語義は印象的な花ではなく、葉だけに由来する。葉に鹿の子模様があって幼葉は片葉しかつけないから片鹿の子と名づけられたのです。現在名のカタクリは、東北地方の方言名カタコユリの訛りで、デンプンが取れる鱗茎を栗に見立てたのかもしれません」との見立てです。万葉集大伴家持は『もののふの八十(やそ)をとめらが汲み乱(まが)ふ寺井の上の堅香子(かたかご)の花』=現代語訳「春になって大勢の娘たちが寺の井戸の水を汲みに来る。その近くには堅香子の花が咲き乱れており、娘たちの様子も咲き乱れる花のようだ」と詠んでいます。

(↑上の写真)いずれもネコノメソウ(猫目草)

 ネコノメソウ(猫目草)はユキノシタ科ネコノメソウ属。南千島、北海道、本州、九州北部に分布し、山地の湿地、谷間、山麓の湿った場所などによく群生する多年草。和名「猫目草」は、果実が深く細く割れた様子が、瞳孔が縦に狭くなった昼間のネコの目に似ていることに因みます。仲間にヨゴレネコノメがあり、時々他の公園で見かけます。(『APG牧野植物図鑑』や『ウィキペディア』など各種Webを参照翻案しました)

(↑上の写真)いずれもミズバショウ水芭蕉

(↑上の写真)左と中=アオイスミレ(葵菫)、右=カンスゲ(寒菅) 

 アオイスミレ(葵菫)はスミレ科スミレ属の多年草。葉は徳川家の家紋葵に似ていて丸い感じで縁に規則的な細かい丸い感じの鋸歯が綺麗に並んでいること、春一番に咲き始めること、地上茎は地表を這い、立ち上がらないことなど(上の写真参照)が特徴です。徳川家の家紋はフタバアオイ(二葉葵=ウマノスズクサカンアオイ属)を基に描かれたもので、京都加茂神社の御神紋とされていたものを徳川家の前身である松平氏が、所領の三河国にある賀茂神社の氏子だったことに由来するそうです。(『牧野植物図鑑』や各種Webを参照翻案しました。)

(↑上の写真)いずれもウグイスカグラ(鶯神楽

 ウグイスカグラ鶯神楽)はスイカズラスイカズラ属。『APG牧野植物図鑑』には「本州・四国の山野に生える落葉小低木。全体が無毛である点がヤマウグイスカグラと異なるが、区別しない意見もある」と記述されています。花後、小さなグミのような赤い液果が熟します。名の由来は諸説あり、鶯を捕まえる「狩り座(かりくら)」が訛ったもの、鶯がこの木の中を飛び回る様子が「神楽を舞う」ようだからというもの、鶯がこの木の中に隠れるようだから「鶯隠れ」が訛ったものなど、どれもそれらしい感じがします(各種Webなど参照)。牧野植物図鑑では、恐らく鳥のウグイスに関係があろうがはっきり分からない、とあります。

(↑上の写真)いずれもコブシ(辛夷

 コブシ辛夷・拳)は、モクレンモクレン属の落葉高木。ハクモクレンとの違いは写真から分かると思います。葉室麟著『辛夷の花』に「澤井家の中庭には、辛夷が植えられている。毎年早春には、あでやかな白い花をつけるが、いまはまだ蕾のままだった。ある朝、志桜里は庭に出て、辛夷の蕾を見つめながら、今年は辛夷の花が咲くのは遅いかもしれない、と思った。そのとき、男の声がした。「辛夷の花がお好きですかな」志桜里が振り向くと、生垣越しに着流し姿の半五郎が立っているのが見えた。・(略)・すみ(女中)は、掃除の合間に庭に出て、うっとり辛夷の花を眺めていることがあった。白い辛夷の花は、青空に浮き出てまばゆいほど輝いて見えたのだ。隣りの庭に出てきた半五郎が明るい口調で声を掛けた。「新しい女中さんか」<略>空に伸びた辛夷の枝の形には味わいがある。懸命に枝を伸ばす様は、常に何事かに努めている人の姿のように思えて志桜里は好きだった」とあります。

(↑上の写真)左=ユキヤナギ(雪柳)、中=アセビ(馬酔木)、右=ヒガンザクラ(彼岸桜)

片倉城跡公園・片倉つどいの里公園・・・令和6年3月21日

 青空が広がり、陽射しもありましたが、北風が強く吹いた一日でした。カタクリもかなり咲いていましたが、寒い北風に縮こまっているようでした。スハマソウは株数がかなり減っているようでした。花の咲き方もイマイチの感があります。つどいの里公園ではカントウタンポポが日だまりに綺麗に花を咲かせていました。今日の様子です。

(↑上の写真)左=公園入口広場、中=アズマイチゲ(東一華)、右=キクザキイチゲ(菊咲一華)

(↑上の写真)いずれもカタクリ(片栗)

(↑上の写真)左=ヒメリュウキンカ(姫立金花)、中=ニリンソウ二輪草=これから)、右=山頂に広がる青空

【↓以下片倉つどいの里公園にて】

(↑上の写真)左=カントウタンポポ(関東蒲公英)、中=ノゲシ(野芥子・野罌粟)

右=カラスノエンドウ(鴉豌豆)

(↑上の写真)左=ムスカリ、中=ユキヤナギ(雪柳)、右=サンシュユ(山茱萸

 ムスカリはキジカクシ科ムスカリ属。球根植物で、寒さ、乾燥には強いが、暑さ、過湿には弱く、夏の暑さでは葉を枯らし、休眠する。秋に芽を出し早春にブドウ状の花を咲かせる。原産地は南西アジアから地中海沿岸地方。日本へは昭和55年(1980年)ごろ輸入された。名はギリシャ語の ムスク(麝香のこと)に由来するという。(Web『ウィキペディア』、その他のWebを参照、翻案)

城山カタクリの里・・・令和6年3月19日

津久井湖に近い、相模原市の「城山カタクリの里」にカタクリを訪ねてきました。フクジュソウは終わりかけています。スハマソウは色とりどりに咲いています。アズマイチゲショウジョウバカマ、ヒダカソウ、バイモ、早咲きのアオイスミレ、バイカオウレンなどここで一度に見ることができます。開園期間は4月21日(日)まで。入園料500円。JR橋本駅から直通バスが1時間に1本出ています。大きな駐車場があります。午前9時から日没まで。今日の様子です。

(↑上の写真)左=入口、中=バイカオウレン(梅花黄蓮)、右=アオイスミレ(葵菫)

(↑上の写真)いずれもバイモ(貝母)=アミガサユリ(網笠百合)

(↑上の写真)いずれもスハマソウ(州浜草)

(↑上の写真)いずれもキクザキイチゲ(菊咲一華)右=八重咲

(↑上の写真)左=ヒメリュウキンカ(姫立金花)、中=ヒダカソウ(日高草)、右=アズマイチゲ(東一華)

(↑上の写真)いずれもカタクリ(片栗)左=白花、右=群生

(↑上の写真)左=ベニバナフクジュソウ(紅花福寿草)、中=キバナフクジュソウ(黄花福寿草)、右=シロバナショウジョウバカマ(白花猩猩袴)

(↑上の写真)左と中=キブシ(木五倍子)、右=ヒカゲツツジ(日陰躑躅

(↑上の写真)左と中=ダンコウバイ(壇香梅)、右=アセビ(馬酔木)

(↑上の写真)いずれも(黄花)ミツマタ(三椏)

(↑上の写真)いずれも(紅花)ミツマタ(三椏)

(↑上の写真)いずれもボケ(木瓜)で、左=ヒボケ(緋木瓜)、中=サラサボケ(更紗木瓜)右=シロボケ(白木瓜

(↑上の写真)左=ウグイスカグラ(鶯神楽)、中=ヒュウガミズキ(日向瑞樹)、右=サクラ(春めき桜)

東京多摩地区街中自然観察・・・令和6年3月14~16日

 日中は随分暖かくなり、上着を脱いで歩いている人も多くなりました。多摩地区の自然観察を数日にわたって少しずつ行い、春の様子を写真に収めました。自然の様子です。

(↑上の写真)左=多摩地区の夕方の風景、中=ヒボケ(緋木瓜)、右=サクラ(桜)

 サクラ(桜)はバラ科サクラ属で分類されていますが、属の下位の種小名や品種名では、サクラでは載っていません。因みにウメは、バラ科アンズ属ウメで、モクレンモクレンモクレンモクレンで載っています。アジサイも種小名アジサイで載っています。しかし、サクラは種小名に分類する時に、すでにたくさんの品種が作出されていて、それら全体を指すものとしては属名サクラに任せることになったようです。Web『じゃらんネット』によると「サクラには、基本種の11種の野生種から作出されたものだけでも600種以上あり、基本種が自然交配したものだけでも100種以上ある。桜は突然変異しやすく、新しく生まれたものを挿し木などで増やしていくと新種を作りやすいという特徴があります」ということです。そのため、外部の者が品種名を同定することは容易ではありません。野楽力研究所としては、今後、名札表示のあるものや明確に判別できるものには品種名を出したいと思っています。(引用は一部翻案してあります。)

(↑上の写真)左=オトメツバキ(乙女椿)、中=ヤブツバキ(藪椿)、右=ベニシシツバキ(紅獅子椿)

(↑上の写真)左=ハクモクレン(白木蓮)、中=アセビ(馬酔木)、右=ユキヤナギ(雪柳)

(↑上の写真)左=カラスノエンドウ(鴉豌豆)、中=ホトケノザ(仏の座)、右=ヒメオドリコソウ(姫踊子草)

(↑上の写真)左=フキノトウ(蕗の薹)、中=タネツケバナ(種漬花)、右=オランダミミナグサ(阿蘭陀耳菜草)

 タネツケバナ種漬花)はアブラナ科タネツケバナ属。APG牧野植物図鑑によると日本各地及び東アジアから南アジアの温帯から暖帯に分布し、水田、溝の畔、水辺の湿地などに生える越年草。和名の種漬花は、苗代を作る前に米の種もみを水に漬ける時期に花が咲くのでこの名がある、とあります。つまり、畔づくりをされる前に花を咲かせ、種子をつくり、子孫繁栄を図る戦略とも考えられます。可愛らしい花なのに賢い戦略を考えていますね。庭に種子を蒔くと、次の年には爆発的に増え、始末に困ります。

(↑上の写真)左=ノゲシ(野芥子・野罌粟)、中=ナズナ(薺)、右=コスミレ(小菫)

(↑上の写真)左=ヒメリュウキンカ(姫立金花)、中=ヒメキンセンカ(比女金盞花)、右=ツルニチニチソウ(蔓日々草

 ヒメリュウキンカ(姫立金花)はキンポウゲ科 フィカリア属。在来種のリュウキンカ(立金花)は水辺や湿地に生えるが、ヒメリュウキンカ、湿気の多い林や川沿いの草原、普通の野原、畑など、広くどこでも生育できる、という。『日本日本帰化植物写真図鑑』によると「ヨーロッパ原産の多年生草本。非常に多型で、多くの種内変異が記録されている。在来種のリュウキンカによく似ているが、本種はダリアの球根を思わせる紡錘形に肥大した地下部を持ち、掘り上げれば容易に区別がつく。変種に小型タイプ、大型タイプのものがあり、日本で野生化しているのは大型タイプが多い。葉は全縁心臓形。小型タイプのものは葉腋にムカゴをつくり、盛んに栄養繁殖するものがある。典型的な春植物で、4月下旬には地上部は完全に枯死する」とあります。この数年都会地でも増えているようで、今後、どのように増えていくか注目したいです。

(↑上の写真)左と中=ハナニラ花韮)、右=ツタバウンラン(蔦葉海蘭)=コロセウムアイビー

  ツタバウンラン(蔦葉海蘭)は、オオバコ科 ツタバウンラン属。原産地が地中海沿岸の一年生または多年生草本。大正時代に観賞用に導入され、逸出して野生化したものといいう。茎は糸状で地上を這い、分枝してランナー(匍匐茎)を出し、所々から不定根を出してどんどん増える。花期は春~初夏。花をよく見ているとミッキーマウスの顔のように見えてきます。説明では、下唇の背面には2個の黄色いふくらみがあって花口をふさぐ、とあり、この膨らみがミッキーマウスの目のように見えます。実際は黄色で目立ちますが、写真では白っぽくなっています。別名:ツタカラクサ (蔦唐草) 、ウンランカズラ (海蘭葛) など。(各種Web参照)

武蔵国分寺公園・・・令和6年3月14日

 JR西国分寺駅から東へ徒歩15分。北の円形広場のある公園と南のふれあい広場・野鳥の森のある公園の二つの部分からできています。今日は快晴の青空にサンシュユの花が映えていました。ハクモクレンの蕾が大分膨らみだしました。コブシも追いかけるように一回り小さい蕾を膨らましています。オオイヌノフグリも満開、ホトケノザに代わってヒメオドリコソウが咲きはじめました。今日の様子です。

(↑上の写真)左=西入口の様子、中=公園の様子、右=公園サービスセンターの全景

(↑上の写真)左=ハクモクレン(白木蓮)、中=コブシ(辛夷)、右=オオカナメモチ(大要黐)

 ハクモクレン(白木蓮・白木蘭)はモクレンモクレン属。中国原産の落葉高木。古くから日本に観賞用として入っているということです。この時期コブシの蕾とハクモクレンの蕾との見分け方がいろいろ提案されていますが、両方が並んでいない場合には区別に迷うことが多いです。しかし、ここに提案されていることで見分けるとよく分かりますので、ぜひ、この見分け方で実践してみてください。これはと思った提案→ハクモクレンの蕾はすべてきちんと上を向いていますが、コブシの蕾は、一定せず、あちこちに向いています」上の写真で確認してみてください。

(↑上の写真)左の並木=左はキンモクセイ金木犀)右はオオカナメモチ(大要黐)、中=青空に向かって花を咲かせているサンシュユ(山茱萸)、右=ふれあい橋の上から見た青空

(↑上の写真)左=マンサク(満作)、中=カリン(花梨)の新芽、右=カリンの特徴ある樹皮

(↑上の写真)左=ユキヤナギ(雪柳)、中=ヒイラギナンテン(柊南天)、右=アセビ(馬酔木)

(↑上の写真)左=オオイヌノフグリ(大犬の陰嚢)、中=ヒメオドリコソウ(姫踊子草)、右=ヨモギ(蓬)

(↑上の写真)左=寒白菊(ノースポール)、喇叭水仙(ラッパズイセン)、右=白妙菊(ダスティーミラー)

川崎市緑化センター・・・令和6年3月13日

 川崎市緑化センターはJR南武線宿河原駅下車、東へ徒歩10分にあります。温室、ツバキ園があり、ツバキ園には各種のツバキが揃えられています。解説板によると「川崎市民の木として親しまれているツバキは学名をカメリアジャポニカといい、わが国の原産です。大別すると太平洋側のヤブツバキ日本海側のユキツバキの原種があり、これをもとに多くの変化に富んだ園芸品種が作出されています。性質は丈夫で、自然放任状態でも作りやすくある程度の日陰にも耐えます。本園では日本種250種と外国で改良された洋種100種を保存、栽培しています」とあります。今日の様子です。

(↑上の写真)左=センター入口、中=サンシュユ、右=センターの建物

【↓ツバキ園にて】

(↑上の写真)左=ツバキ園、中=おおにじ(大虹)、右=あかこしみの(赤腰蓑)

(↑上の写真)左=たぬしまる(田主丸)、中=おきのいし(沖に石)、右=あかしがた(明石潟)

(↑上の写真)左=はつせやま(初瀬山)、中=しろぎく(白菊)、右=あらじし(荒獅子)

【↓温室にて】

【↓園内にて】

(↑上の写真)左=ポピー=ヒナゲシ(雛芥子、雛罌粟)、中=トサミズキ(土佐水木)、右=ユキヤナギ(雪柳)

区立新宿中央公園・・・令和6年3月7日

 本日の夕方から天気が崩れるとの予報。急遽、自然が無いと思われる都心に自然を求めて訪れました。園芸品種ばかりのようですが、隅には野草が頑張っています。小さいですが、ビオトープも設置され、区民の皆さんに自然に触れられる機会を提供しています。定番のナズナホトケノザフキノトウが見られました。ハクモクレンの蕾が大きくなり始めています。今日の様子です。

(↑上の写真)左=公園から見上げた都庁第一、第二本庁舎。中=彫刻「瞭(りょう」。右=「新宿白糸の滝」(人の高さの左右に広がる滝)

(↑上の写真)左=管理棟前の花壇。中=ポピー、右=ルピナス

 ルピナスマメ科ルピナス属。地中海沿岸地方と南北アメリカ南アフリカなどに分布し、日本では、明治期に緑肥用作物として導入された。ヨーロッパで園芸植物としての栽培が始まったのは近世になってからという。花は、春から初夏にかけて総状花序の蝶形花を多数咲かせる。耐寒性はあるが、暑さに弱く、暖地にはあまり合わないという。(Web:『ウィキペディア』から引用翻案)

(↑上の写真)左=白妙菊(ダスティーミラー)、中=デージー、右=待雪草(スノードロップ

 シロタエギク(白妙菊)はキク科キオン属。南ヨーロッパ(地中海)海岸地帯原産の常緑多年草。現在は広く世界に広がっているということです。茎や葉は緑ですが白い繊毛があり、白銀色に見えます。日本では、6月~7月頃に黄色い一見ハハコグサに似た花が開花します。花壇では他のカラフルな花を引き立てるための引き立て役として植えられるようです。英語名はダスティミラー Dusty miller(粉まみれの製粉屋さん)ということ。はじめDusty mirror(埃まみれの鏡)かと思い、変に納得していましたが、millerでした。

(↑上の写真)左=リナリア・マロッカナ、中=ラッパスイセン(喇叭水仙)、右=ツルコザクラ(蔓小桜)

 ツルコザクラ(蔓小桜)はナデシコ科サポナリア属(サボンソウ属)。地中海沿岸からアルプス・ヨーロッパにかけての日当りのよい岩礫質土壌に自生する多年草で、草丈は10~20cm程度、よく分枝し、匍匐横走し、マット状に広がるようです。芝桜のように見えましたが、一回り大きく丈夫そうに思われました。(各種Web「GKZ植物事典」などを参照、引用翻案しました。)

(↑上の写真)左と中=ジンチョウゲ沈丁花)、右=サンシュユ

 ジンチョウゲ沈丁花)はジンチョウゲジンチョウゲ属。中国中部から雲南、ヒマラヤにかけて分布する雌雄異株の常緑低木。自生地は判っていないようです。日本へは室町時代またはそれ以前に雄木のみ渡来していましたが、近年雌株が移入されるまでは挿し木で増やしていました。上掲左写真の白い花は白花沈丁花といわれ、中写真のように花の外側が淡紅色になっているものを薄色沈丁花といわれます。花には、ジンチョウゲ属のオニシバリやナニワズと同じように、花弁はなく、花弁のように見えるのは萼で、筒状の肉質の萼(萼筒)の先が4裂して広がり、花弁のように見えています。諸田玲子著『今ひとたびの、和泉式部』に「わたし(江侍従)は母(赤染衛門)に頼んで上東門院(上東門院彰子)に会いに行くことにした。どうしても和泉式部の謎を解きたかった。7月、秋たけなわの午後、牛車の簾戸を細く開けて大路を行けば、涼風とともに沈丁花の香りが流れてくる。私は母の看病を理由に宿下がりをしていた。」とあります。沈丁花が雰囲気づくりに重要な働きをしていますが、季節が解せないでいます。

(上の写真)左=ハクモクレン。中=トサミズキ。右=白梅(「銀世界」)

 白梅「銀世界」について】ここ新宿中央公園の白梅「銀世界」は、明治13年頃、新宿角筈に「銀世界」と呼ばれる梅林がありました。明治の終わり頃、その地が東京ガスに買収された時、梅林「銀世界」にあった梅の木は都立公園などに移植分散されたそうです。そのうち芝公園に移植されていた梅の木を、地元や農業試験場の協力で、接ぎ木をして育て、その苗木を平成13年12月、ここに5本、公園大橋を渡った東側法面に15本が植えられたということです。その時のものが、ここの白梅「銀世界」ということです。梅林「銀世界」で白梅を愛でた明治の人々の気持ちが伝わってくるようです。

(↑上の写真)左=ヤブツバキ(藪椿)、中=ユキヤナギ(雪柳)、右=アセビ(馬酔木)

 ヤブツバキ(藪椿)はツバキ科ツバキ属。「APG牧野植物図鑑」によると「日本各地に分布する常緑高木。晩秋から春、枝端に1~2の花をつけ、花弁は5~6枚、雄しべは合着して筒状を成し、花後、花弁と一体となって落下する」とあります。日本に自生する椿の標準和名はヤブツバキとされています。鈴木るりか著『落花流水』に「藪椿だよ。川上に藪椿の森があるから」おにいちゃんが花を目で追いながら言う。藪椿は時々くるくると踊るように回りながら流されていく。「落花流水」「えっ」なにを言われたのかわからなくて聞き返す。「落花流水。散った花が水面に落ちて流されていく。春が過ぎていく、歳月が流れていくってことだよ」「(その場で書いた毛筆)落花流水。どれもまだ(水咲ちゃんには)読めないと思うけど、この中に僕の苗字、落合の落、水咲ちゃんの名前、水咲の水の字が入ってるんだよ」指をさしながら言う。」(二人の運命を占っている様でしたね。)

【↓ビオトープにて】

(↑上の写真)左=ビオトープ入口、中=トクサ(木賊)、右=クサイチゴ(草苺)

 トクサ砥草木賊)はシダ植物門トクサ科トクサ属。『牧野新日本植物図鑑』によると「やや涼しい地方の山間谷川辺等に自生し、また観賞用として植えられている多年生草本。地下茎は短く横に這い、地面付近で多数に分枝し、その節から地上茎を直立する。茎には多量の珪酸塩を含み、表面は硬く、またざらつき、木材、角、骨等を磨くのに使う。日本名砥草、つまり砥石代用の草の意味」とあります。木賊は漢名。水上勉著『越前竹人形』に「はじめての品出しやさかいな、人形の出来が気にかかるのんや。あんた(妻の玉枝)すまんけど、わいが仕上げする尻から、とくさで磨いてくれへんか」玉枝はうなずいた。磨きと称する仕事は女でもできた。玉枝はこれまでにも、喜助に教えられて、菓子器や、茶器の蓋磨きを手伝ったことがある」とトクサが砥石のように研磨に利用されていた様子が描写されています。

(↑上の写真)左=ヤエムグラ(八重葎)、中=ヨモギ(蓬)の若芽、右=ノゲシ(野芥子・野罌粟)の芽出し

【↓園内の野草】

(↑上の写真)左=ナズナ(薺)、中=ホトケノザ(仏の座)、右=フキノトウ(蕗の薹)

(↑上の写真)左=ハルジオン(春紫苑)、中=オオイヌノフグリ、右=ノボロギク(野襤褸菊)

 ノボロギク(野襤褸菊)はキク科ノボロギク属。『APG牧野植物図鑑』によるとヨーロッパ原産で明治初期に渡来した帰化植物、各地の道端、空き地に生える1・2年草(越年草)ということです。どんな花が咲くのかな?と開花するのを期待して待っているといつの間にかタンポ果になっていて、がっかりさせられます。このガッカリ感をボロと表現したのではないかと思います(野楽力研究所の解釈)。越年生ということで陽溜まりでは春早くからタンポ果ができています。仲間にはダンドボロギク、ベニバナボロギクなどがあります。

(↑上の写真)左=シロバナタンポポ(白花蒲公英)、中=ハキダメギク(掃溜菊)、右=イヌホオズキ(犬酸漿)

 シロバナタンポポ(白花蒲公英)はキク科タンポポ属。『APG牧野植物図鑑』によると、「東北地方南部以西から四国、九州の道端や人家の近くに生える多年草」とあり、Web『ウィキペディア』には、「本州関東以西、四国、九州に分布し、西の方ほど多い」とあります。東北地方南部か関東地方南部か微妙です。いずれにしても日本在来種で2月~ 5月にかけて咲くということです。東京地方ではあまり見かけませんでしたので関西のものが東京まで進出していると思っていましたが、結構、東京にあっても当たり前かも知れません。関西以西に在住の方はタンポポの花は白いと思っている方が多いようです。多田多恵子著『したたかな植物たち』によると「シロバナタンポポは単為生殖をすることが知られている」と、またWeb『ウィキペディア』によると「シロバナタンポポは、他の日本在来種の主なタンポポとは違い、5倍体で単為生殖が可能である」とあります。単為生殖が可能ということであれば、今後、現在ある株が親となり、単為生殖でどんどん増加していく可能性があります。東京でもシロバナタンポポが珍しい存在ではなくなるかも知れません。気をつけて観察を続けたいですね。

【↓その他】

(↑上の写真)左=春らんまん幟、中=ネモフィラ、右=由緒のある六角堂

 六角堂標高45mの富士見台と呼ばれる富士山が西方に展望できる展望台にあり、そこにあった淀橋浄水場時代のものを補修して残したもの。担当者が、ここで来場者に浄水場の全景を展望してもらい、浄水場の役割などを解説したところ。当時も面影を残す唯一の建物。