野楽力研究所

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東京都薬用植物園・・・令和6年4月29日

 次から次へと草花が咲き出し、追いかけるように写真に収めています。ヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃ)が見事です。この光景は、しっかりカメラに収めましたのでご覧いただきたいと思います。トチノキも満開。ギョリュウも満開。キンラン・ギンラン・ササバギンランも見事です。カラタネオガタマは咲きはじめです。今日の様子です。

(↑上の写真)左=薬用植物園入口、中=クサノオウ(瘡の王・草の黄)、右=ネモフィラ

(↑上の写真)左=サンザシ(山査子)、中=オオミサンザシ(大実山査子)、右=ノイバラ(野茨)

(↑上の写真)左と中=シラン(紫蘭)、右=シロバナシラン(白花紫蘭

(↑上の写真)左と中=ギョリュウ(御柳)、右=カラタネオガタマ(唐種招霊)

 ギョリュウ(御柳)はギョリュウ科ギョリュウ属一科一属一種の珍しい植物。『APG牧野植物図鑑』によると「中国西部の乾燥地の原産で寛保年間(1741~1743)に渡来した落葉小高木」とあります。牧野富太郎著『植物一日一題』によると「一樹で年に2〜3度(普通は5月頃と9月頃の2回)淡紅色の花を咲かせる。はじめの花は去年の枝に咲き、2度目の花は今年の枝に咲く。中国では(年に三度花が咲くといわれ)三春柳 の名がある。5月の花はやや大きいが結実しない」そうです。御柳のいわれについては、深津正著『植物和名の語源』に「唐の玄宗皇帝の寵愛を受けた楊貴妃が、この(柳のように見えるしなだれる)木を後苑に植えて至極愛したので、御柳の名が起こったと言われる」と記しています。

(↑上の写真)いずれもヒトツバタゴ(一ッ葉田子)

 ヒトツバタゴ(一つ葉田子)はモクセイ科ヒトツバタゴ属。「APG牧野植物図鑑」によると本州中部の木曽川流域と対馬に生え、さらに朝鮮半島、台湾、中国の暖帯に分布する雄性両性異株の高さ10mの落葉高木という。名前がユニークですが、一ッ葉のタゴ(トネリコの地方名)ということです。タゴとはバットにするマルバアオダモが属するトネリコ属のことで、トネリコ属は普通、葉のつき方が奇数羽状複葉ですが、ヒトツバタゴは、複葉でなく単葉なのでヒトツバタゴといわれ、属名もヒトツバタゴ属になっているということです。対馬では、晩春には、湾を囲むようにヒトツバタゴの白い花が海面に映えることから「ウミテラシ」とも呼ばれているそうです。因みに雄性両性異株とは集団内に雄の木と両性の木があるということのようです。変な木ということで「なんじゃもんじゃ」。

(↑上の写真)いずれもトチノキ(栃ノ木)

(↑上の写真)左と中=マユミ(真弓)、右=キソケイ

(↑上の写真)左と中=コバノタツナミ(小葉立浪)、右=オッタチカタバミ(おっ立ち片喰)

(↑上の写真)いずれもキンラン(金襴)右=群生

(↑上の写真)左=ギンラン(銀蘭)、中と右=ササバギンラン(笹葉銀蘭)

(↑上の写真)いずれもフタリシズカ二人静)、右=群落

 フタリシズカ二人静)はセンリョウ科チャラン属。日本各地および中国の温帯から暖帯の山地や林野に生える多年草。花茎がヒトリシズカの1本に対して2本あるのでフタリシズカと言われています。ヒトリシズカに遠慮しているのか、ヒトリシズカの花が終わった後に花を咲かせます。上掲群落写真の中に花茎が3本のものもありますが、強いて言えばカシマシソウ(姦し草)?でしょうか。茎には節が1つあるのが特徴です。葉は4葉の輪生のように見えますが、2葉ずつの対生です。花のつくりは面白いことに花弁も萼もなく雌しべとそれを囲む雄しべ3枚で出来ています。雄しべの内側には花粉をつけていて自家受粉に便利なようになっています。なかなか群生をしないとのことですが、此処では大きな群落を作っていました。なお、属名はチャラン属です。チャランは中国南部原産の小低木です。花は黄色でフタリシズカに似ています。花茎はフタリシズカ以上にたくさん伸ばしています。(各種図鑑、Webを参照しました。)

(↑上の写真)左=オニタビラコ(鬼田平子)、中と右=ニガナ(苦菜)

(↑上の写真)左=キケマン(黄華鬘)、中=ジシバリ(地縛り)、右=園内風景

(↑上の写真)いずれもヒナゲシ(雛芥子、雛罌粟)

 ヒナゲシ(雛芥子、雛罌粟)はケシ科ケシ属。別名:虞美人草グビジンソウ)。ヨーロッパ原産で、江戸時代に日本に渡来した越年草。明治45年5月19日与謝野晶子は、パリの北駅頭に立った。半年ぶりに夫、寛と感激の対面をする。ホテルの窓掛の間からは野生の雛罌粟(コクリコ・仏語=ヒナゲシのこと)の燃える様な緋の色の花が見える。郊外にはその雛罌粟が、総ての畦路と路傍とを埋めて居るのである。そして晶子は謳う「ああ皐月 仏蘭西の野は火の色す 君も雛罌粟われも雛罌粟」(各種資料を翻案、コクリコはフランス語。寛はフランス留学中だったので、コクリコを知っていたが晶子は知らなかった。日本に戻り、短歌に詠んだ時にヒナゲシでなく雛罌粟を使った、という)。別名虞美人草は、中国の伝説に由来。項羽の愛人だった虞は、項羽劉邦に敗れて垓下(がいか=垓下の戦い)に追い詰められた時に、虞は、死を覚悟して項羽が詠った垓下の歌に合わせて舞い、この舞の後に彼女は自害した。彼女を葬った墓に翌夏赤くこの花が美しく咲いた。それは美しかった虞美人の姿を彷彿とさせるものだった、という伝説からこの花は虞美人草と呼ばれるようになったという(資料より翻案)。今のこの時期、ここ薬草園を訪れれば、晶子が詠う「ああ皐月 仏蘭西の野は火の色す」の火の色を追実感することができます。すばらしいです。これが与謝野晶子が見た火の色か。

(↑上の写真)いずれもツツジ躑躅

(↑上の写真)いずれも温室にて、左=ブーゲンビリア、中=マンゴー、右=コチョウラン胡蝶蘭