野楽力研究所

近くの自然で野楽力を高めましょう

川崎市緑化センター・・・令和6年3月13日

 川崎市緑化センターはJR南武線宿河原駅下車、東へ徒歩10分にあります。温室、ツバキ園があり、ツバキ園には各種のツバキが揃えられています。解説板によると「川崎市民の木として親しまれているツバキは学名をカメリアジャポニカといい、わが国の原産です。大別すると太平洋側のヤブツバキ日本海側のユキツバキの原種があり、これをもとに多くの変化に富んだ園芸品種が作出されています。性質は丈夫で、自然放任状態でも作りやすくある程度の日陰にも耐えます。本園では日本種250種と外国で改良された洋種100種を保存、栽培しています」とあります。今日の様子です。

(↑上の写真)左=センター入口、中=サンシュユ、右=センターの建物

【↓ツバキ園にて】

(↑上の写真)左=ツバキ園、中=おおにじ(大虹)、右=あかこしみの(赤腰蓑)

(↑上の写真)左=たぬしまる(田主丸)、中=おきのいし(沖に石)、右=あかしがた(明石潟)

(↑上の写真)左=はつせやま(初瀬山)、中=しろぎく(白菊)、右=あらじし(荒獅子)

【↓温室にて】

【↓園内にて】

(↑上の写真)左=ポピー=ヒナゲシ(雛芥子、雛罌粟)、中=トサミズキ(土佐水木)、右=ユキヤナギ(雪柳)

区立新宿中央公園・・・令和6年3月7日

 本日の夕方から天気が崩れるとの予報。急遽、自然が無いと思われる都心に自然を求めて訪れました。園芸品種ばかりのようですが、隅には野草が頑張っています。小さいですが、ビオトープも設置され、区民の皆さんに自然に触れられる機会を提供しています。定番のナズナホトケノザフキノトウが見られました。ハクモクレンの蕾が大きくなり始めています。今日の様子です。

(↑上の写真)左=公園から見上げた都庁第一、第二本庁舎。中=彫刻「瞭(りょう」。右=「新宿白糸の滝」(人の高さの左右に広がる滝)

(↑上の写真)左=管理棟前の花壇。中=ポピー、右=ルピナス

 ルピナスマメ科ルピナス属。地中海沿岸地方と南北アメリカ南アフリカなどに分布し、日本では、明治期に緑肥用作物として導入された。ヨーロッパで園芸植物としての栽培が始まったのは近世になってからという。花は、春から初夏にかけて総状花序の蝶形花を多数咲かせる。耐寒性はあるが、暑さに弱く、暖地にはあまり合わないという。(Web:『ウィキペディア』から引用翻案)

(↑上の写真)左=白妙菊(ダスティーミラー)、中=デージー、右=待雪草(スノードロップ

 シロタエギク(白妙菊)はキク科キオン属。南ヨーロッパ(地中海)海岸地帯原産の常緑多年草。現在は広く世界に広がっているということです。茎や葉は緑ですが白い繊毛があり、白銀色に見えます。日本では、6月~7月頃に黄色い一見ハハコグサに似た花が開花します。花壇では他のカラフルな花を引き立てるための引き立て役として植えられるようです。英語名はダスティミラー Dusty miller(粉まみれの製粉屋さん)ということ。はじめDusty mirror(埃まみれの鏡)かと思い、変に納得していましたが、millerでした。

(↑上の写真)左=リナリア・マロッカナ、中=ラッパスイセン(喇叭水仙)、右=ツルコザクラ(蔓小桜)

 ツルコザクラ(蔓小桜)はナデシコ科サポナリア属(サボンソウ属)。地中海沿岸からアルプス・ヨーロッパにかけての日当りのよい岩礫質土壌に自生する多年草で、草丈は10~20cm程度、よく分枝し、匍匐横走し、マット状に広がるようです。芝桜のように見えましたが、一回り大きく丈夫そうに思われました。(各種Web「GKZ植物事典」などを参照、引用翻案しました。)

(↑上の写真)左と中=ジンチョウゲ沈丁花)、右=サンシュユ

 ジンチョウゲ沈丁花)はジンチョウゲジンチョウゲ属。中国中部から雲南、ヒマラヤにかけて分布する雌雄異株の常緑低木。自生地は判っていないようです。日本へは室町時代またはそれ以前に雄木のみ渡来していましたが、近年雌株が移入されるまでは挿し木で増やしていました。上掲左写真の白い花は白花沈丁花といわれ、中写真のように花の外側が淡紅色になっているものを薄色沈丁花といわれます。花には、ジンチョウゲ属のオニシバリやナニワズと同じように、花弁はなく、花弁のように見えるのは萼で、筒状の肉質の萼(萼筒)の先が4裂して広がり、花弁のように見えています。諸田玲子著『今ひとたびの、和泉式部』に「わたし(江侍従)は母(赤染衛門)に頼んで上東門院(上東門院彰子)に会いに行くことにした。どうしても和泉式部の謎を解きたかった。7月、秋たけなわの午後、牛車の簾戸を細く開けて大路を行けば、涼風とともに沈丁花の香りが流れてくる。私は母の看病を理由に宿下がりをしていた。」とあります。沈丁花が雰囲気づくりに重要な働きをしていますが、季節が解せないでいます。

(上の写真)左=ハクモクレン。中=トサミズキ。右=白梅(「銀世界」)

 白梅「銀世界」について】ここ新宿中央公園の白梅「銀世界」は、明治13年頃、新宿角筈に「銀世界」と呼ばれる梅林がありました。明治の終わり頃、その地が東京ガスに買収された時、梅林「銀世界」にあった梅の木は都立公園などに移植分散されたそうです。そのうち芝公園に移植されていた梅の木を、地元や農業試験場の協力で、接ぎ木をして育て、その苗木を平成13年12月、ここに5本、公園大橋を渡った東側法面に15本が植えられたということです。その時のものが、ここの白梅「銀世界」ということです。梅林「銀世界」で白梅を愛でた明治の人々の気持ちが伝わってくるようです。

(↑上の写真)左=ヤブツバキ(藪椿)、中=ユキヤナギ(雪柳)、右=アセビ(馬酔木)

 ヤブツバキ(藪椿)はツバキ科ツバキ属。「APG牧野植物図鑑」によると「日本各地に分布する常緑高木。晩秋から春、枝端に1~2の花をつけ、花弁は5~6枚、雄しべは合着して筒状を成し、花後、花弁と一体となって落下する」とあります。日本に自生する椿の標準和名はヤブツバキとされています。鈴木るりか著『落花流水』に「藪椿だよ。川上に藪椿の森があるから」おにいちゃんが花を目で追いながら言う。藪椿は時々くるくると踊るように回りながら流されていく。「落花流水」「えっ」なにを言われたのかわからなくて聞き返す。「落花流水。散った花が水面に落ちて流されていく。春が過ぎていく、歳月が流れていくってことだよ」「(その場で書いた毛筆)落花流水。どれもまだ(水咲ちゃんには)読めないと思うけど、この中に僕の苗字、落合の落、水咲ちゃんの名前、水咲の水の字が入ってるんだよ」指をさしながら言う。」(二人の運命を占っている様でしたね。)

【↓ビオトープにて】

(↑上の写真)左=ビオトープ入口、中=トクサ(木賊)、右=クサイチゴ(草苺)

 トクサ砥草木賊)はシダ植物門トクサ科トクサ属。『牧野新日本植物図鑑』によると「やや涼しい地方の山間谷川辺等に自生し、また観賞用として植えられている多年生草本。地下茎は短く横に這い、地面付近で多数に分枝し、その節から地上茎を直立する。茎には多量の珪酸塩を含み、表面は硬く、またざらつき、木材、角、骨等を磨くのに使う。日本名砥草、つまり砥石代用の草の意味」とあります。木賊は漢名。水上勉著『越前竹人形』に「はじめての品出しやさかいな、人形の出来が気にかかるのんや。あんた(妻の玉枝)すまんけど、わいが仕上げする尻から、とくさで磨いてくれへんか」玉枝はうなずいた。磨きと称する仕事は女でもできた。玉枝はこれまでにも、喜助に教えられて、菓子器や、茶器の蓋磨きを手伝ったことがある」とトクサが砥石のように研磨に利用されていた様子が描写されています。

(↑上の写真)左=ヤエムグラ(八重葎)、中=ヨモギ(蓬)の若芽、右=ノゲシ(野芥子・野罌粟)の芽出し

【↓園内の野草】

(↑上の写真)左=ナズナ(薺)、中=ホトケノザ(仏の座)、右=フキノトウ(蕗の薹)

(↑上の写真)左=ハルジオン(春紫苑)、中=オオイヌノフグリ、右=ノボロギク(野襤褸菊)

 ノボロギク(野襤褸菊)はキク科ノボロギク属。『APG牧野植物図鑑』によるとヨーロッパ原産で明治初期に渡来した帰化植物、各地の道端、空き地に生える1・2年草(越年草)ということです。どんな花が咲くのかな?と開花するのを期待して待っているといつの間にかタンポ果になっていて、がっかりさせられます。このガッカリ感をボロと表現したのではないかと思います(野楽力研究所の解釈)。越年生ということで陽溜まりでは春早くからタンポ果ができています。仲間にはダンドボロギク、ベニバナボロギクなどがあります。

(↑上の写真)左=シロバナタンポポ(白花蒲公英)、中=ハキダメギク(掃溜菊)、右=イヌホオズキ(犬酸漿)

 シロバナタンポポ(白花蒲公英)はキク科タンポポ属。『APG牧野植物図鑑』によると、「東北地方南部以西から四国、九州の道端や人家の近くに生える多年草」とあり、Web『ウィキペディア』には、「本州関東以西、四国、九州に分布し、西の方ほど多い」とあります。東北地方南部か関東地方南部か微妙です。いずれにしても日本在来種で2月~ 5月にかけて咲くということです。東京地方ではあまり見かけませんでしたので関西のものが東京まで進出していると思っていましたが、結構、東京にあっても当たり前かも知れません。関西以西に在住の方はタンポポの花は白いと思っている方が多いようです。多田多恵子著『したたかな植物たち』によると「シロバナタンポポは単為生殖をすることが知られている」と、またWeb『ウィキペディア』によると「シロバナタンポポは、他の日本在来種の主なタンポポとは違い、5倍体で単為生殖が可能である」とあります。単為生殖が可能ということであれば、今後、現在ある株が親となり、単為生殖でどんどん増加していく可能性があります。東京でもシロバナタンポポが珍しい存在ではなくなるかも知れません。気をつけて観察を続けたいですね。

【↓その他】

(↑上の写真)左=春らんまん幟、中=ネモフィラ、右=由緒のある六角堂

 六角堂標高45mの富士見台と呼ばれる富士山が西方に展望できる展望台にあり、そこにあった淀橋浄水場時代のものを補修して残したもの。担当者が、ここで来場者に浄水場の全景を展望してもらい、浄水場の役割などを解説したところ。当時も面影を残す唯一の建物。

東京都薬用植物園・・・令和6年3月3日

 あまりにもいい天気に浮かれて、東京都薬用植物園に春の新しい花に出会えることを期待して出かけました。カワヅザクラサンシュユ、シダレウメ、紅梅が満開で迎えてくれました。草花ではセリバオウレンが満開、ヒロハアマナが咲き始め、フキノトウが芽を出していました。今日の様子です。

(↑上の写真)いずれもカワヅザクラ河津桜

(↑上の写真)左と中=シダレウメ(枝垂梅)、右=ヒボケ(緋木瓜

(↑上の写真)いずれもサンシュユ(山茱萸

 サンシュユ(山茱萸)はミズキ科サンシュユ属。中国原産で江戸時代享保年間(1720年頃)に薬用植物として渡来したそうです。「茱萸」とはグミのこと。グミとはドイツ語だそうです。秋に赤い実がなりますが、その実のことを漢字では「茱萸」と書きます。山茱萸は「やまのぐみ=やまぐみ」」ということになります。サンシュユは秋に赤い実をつけ、それがグミの実のようなので「山の茱萸=山茱萸」となったのでしょう。注意したいのは、サンシュユが日本に渡来したのは、享保年間ということですから、それ以前は、日本にはその木はなかったということです。稗搗節のサンシュウの木は、サンショウ(山椒)のことで、サンシュユ(山茱萸)のことではないということになります。

(↑上の写真)左と中=コショウノキ(胡椒の木)、右=ウグイスカグラ(鶯神楽

 コショウノキ(胡椒の木)は、ジンチョウゲジンチョウゲ属。『APG牧野植物図鑑』によると「関東地方以西から琉球列島の山地の林内に生える常緑小低木。高さ1m位。雌雄異株。和名<胡椒の木>は果実がコショウのように非常に辛いとされたため」とあります。Web『松江の花図鑑』によると「果実は液質の核果。直径8mmほどの球形で、6月に赤く熟す。有毒」ということですから、その辛さを胡椒と比べてみるわけにはいきませんね。ジンチョウゲ科なので花の香りは良いようですが、残念なことに、ここでは柵があって近寄れません。

(↑上の写真)左=コウバイ(紅梅)、中=オウバイ(黄梅)、右=ヒュウガミズキ(日向瑞樹)

(↑上の写真)いずれもセリバオウレン(芹葉黄蓮)

(↑上の写真)左と中=ヒロハアマナ(広葉甘菜)、右=ネモフィラ(日立臨海公園で有名)

 ヒロハアマナ(広葉甘菜)はユリ科アマナ属。『APG牧野植物図鑑』によると「関東地方以西の水田の間に残された日当たりのよい低湿の原野に生える多年草」とあります。アマナの仲間の花はとてもよく似ています。区別点は、広葉甘菜は、まず、葉の主脈に沿って白い帯があることと、2つ目は、花茎の先端の花の下の花茎に2本に線状の葉状苞をつけていることです。3枚つけているものはアマナです。和名は広い葉のアマナという意味。ヒロハアマナの葉はアマナに比べて幅が広いのでヒロハ(広葉)です。アマナといわれるわけは、葉が甘いのではなく、球根が甘く食用になることからアマナ(甘菜)と呼ばれているそうです。

(↑上の写真)左と中=セツブンソウ(節分草)、右=キバナセツブンソウ(黄花節分草)

(↑上の写真)左と中=フキノトウ(蕗の薹)、右=シュンラン(春蘭)

【↓温室にて】

(↑上の写真)左=温室外観、中と右=ムユウジュ(無憂樹)の花と新葉

 ムユウジュ(無憂樹)はマメ科サラカ属。インドから東南アジアにかけて広く分布している常緑小高木ということです。逸話では、釈迦族の王シュッドーダナ(浄飯王)に嫁いでいたマーヤー夫人は、お産のため実家に戻る途中、ルンビニーの花園で休憩をとりました。その時、紅く咲き誇るムユージュ(無憂樹)の花に心を惹かれ一枝を取ろうと右手を上げた時に夫人の脇から誕生したのがお釈迦さまといわれています。お釈迦さまは誕生と同時に七歩歩いて「天上天下、唯我独尊」と言われたそうで、何の不自由もなく、成長され、16歳で結婚、29歳で突然出家されることになります。出家するまでは何の憂いもなく成長されたのですからその間は「ムユウジュ(無憂樹)」のお陰だったことと思います。そんな由緒のある無憂樹の花と新葉が現在見られます。なお、無憂樹の花色は黄色から真紅まであるようですが、ここでは黄色でした。花は小さな筒状の花の集まりですが、この筒状の花は萼片(萼筒)が花びらのように変化したもので、花びら(花弁)は無いとのことです。萼筒から飛び出しているものは雄しべということです。一つの花を見てもいろいろなことが学べますね。(各種Webを参照、翻案しました。)

(↑上の写真)左=ブウゲンビリア、中=アンスリュウム、右=コエビソウ(小海老草)

神代植物公園・・・令和6年2月24日

神代植物公園は、3月3日まで「梅まつり」3月9日から3月17日まで「椿ウィーク」ということです。そこで梅園、椿園をまず訪れ、それから自然観察、大温室を観賞しました。梅は満開でした。椿はその性質上、種類によっては終わりかけているものもあり、これからのものもあり、一斉ではないのもありで、あちこちでチラホラという感じでした。今日の様子です。

(↑上の写真)いずれも園内風景

【↓梅林にて】

(↑上の写真)左=梅林の様子、中と右=見驚(けんきょう)

(↑上の写真)左=薄色縮緬(うすいろちりめん)、中と右=白加賀(しろかが)

(↑上の写真)左と中=玉垣枝垂れ(たまがきしだれ)、右=紅千鳥(べにちどり)

(↑上の写真)いずれも紅千鳥(べにちどり)

【↓椿園にて】

(↑上の写真)左=獅子頭(ししがしら)、中=数寄屋(すきや)、右=通鳥(かよいどり)

(↑上の写真)左=飛竜(ひりゅう)、中=夕陽(せきよう)、右=曙(あけぼの)

(↑上の写真)左=花車(はなぐるま)、中と右=太郎冠者(たろうかじゃ)

 太郎冠者については、園内解説板によると「太郎冠者とは、狂言の役の一つで舞台に最初に出てきて口上を述べる役柄。このツバキは、他のツバキに先駆けて咲くことから、この名がついたといわれます。」とあります。Web:東京花散歩によると「(太郎冠者は)古くからある椿の園芸品種。中国から持ち込まれた椿の原種とヤブツバキの交配種ではないかといわれる。江戸では太郎冠者、京都では有楽椿と呼ばれた。有楽椿は、織田信長の弟で茶人でもあった織田有楽斎が、茶の湯の席に好んで用いたことに由来」とあります。澤田ふじ子著『木戸の椿』に「有楽椿は豊織時代、茶湯者として知られた織田有楽斎が愛でたことからこの名がつけられた銘木。江戸では太郎冠者と呼ばれている。京には、名所旧跡のほか、名刹が多くあり、椿の銘木を育てる環境が整っていた。天皇や公卿、茶湯者、歌人たちが、銘椿を見つけては雅びた名前を与えた。小式部、明月、井筒、熊谷など数え上げたらきりがないほどだ。」とあります。

(↑上の写真)左=銀竜(ぎんりゅう)、中=紅獅子(べにしし)、右=加茂本阿弥(かもほんあみ)

【↓梅林の奥のマンサク園にて、各種マンサク】

(↑上の写真)左と中=シナマンサク、右=オレンジビューティー

(↑上の写真)左=ルビーグロー、中と右=モリスパリダ

【↓大温室にて】

(↑上の写真)左=ベニヒモノキ、中=シロヒモノキ、右=ヒスイカズラ

【↓その他の園内の花々】

(↑上の写真)左=バイモ(貝母)、中と右=ユキワリイチゲ(雪割一華)

(↑上の写真)左=オニシバリ(鬼縛り)、中=アセビ(馬酔木赤花)、右=アセビ(馬酔木白花)

(↑上の写真)左=ミツマタ(三椏)、中=シキミ(樒)、右=オウバイモドキ(黄梅擬き)

都立植物多様性センター・・・令和6年2月24日

 小雨が降り続いていました。その中休みの晴れ間に都立植物多様性センターを訪れました。小雨と共に気温も低く、春が遠のいてしまったようなのでスプリング・エフェメラル達は花を咲かせているか心配でしたが、健気に小さい花を咲かせていました。今日の様子です。

(↑上の写真)左=西門入口、中=正門から見た情報館、右=石灰岩地の様子

(↑上の写真)いずれもセツブンソウ(節分草)

(↑上の写真)いずれもユキワリイチゲ(雪割一華)

(↑上の写真)左=フクジュソウ福寿草)、中=フクジュカイ(福寿海)、右=ミチノクフクジュソウ陸奥福寿草

 フクジュソウ福寿草)はキンポウゲ科フクジュソウ属。本年度新たに掲出された案内板によると「このフクジュソウ園にはフクジュソウ、ミチノクフクジュソウ、両種の交配種である福寿海の3種のフクジュソウが植栽されています。花は晴れた日の気温が高い日のみ開花します。雨や気温の低い日になると花は閉じています。開花が終わり果実をつけた後は地面の中で過ごし、次の春まで姿を現しません(夏から秋は休眠中)。フクジュソウは萼片の長さが花弁と同じです。ミチノクフクジュソウは萼片の長さが花弁の半分程度。萼片は5枚。福寿海はフクジュソウとミチノクフクジュソウの交配種で園芸品種。萼片の長さが花弁より少し短い。」と、あります。

東京薬科大学薬用植物園・・・令和6年2月20日

 今季セツブンソウのそれらしい写真が撮れてなかったので、初夏を思わせる陽気にも誘われ東薬大の薬用植物園に行って来ました。花が終わっているかな?とも思われましたが、今日が満開だったようです。アズマイチゲコセリバオウレンも咲いており、いよいよ花の時期が到来したな、と実感させられました。これから、度々訪れたいです。お奨めの植物園です。東京ドームほどの広さの多摩丘陵斜面に野生植物500種、栽培植物1500種ほどが植栽されています。今日の様子です。

(↑上の写真)左=薬用植物園入口、中=シダレウメと見本園、温室の眺め、右=観察路入口

(↑上の写真)いずれもセツブンソウ(節分草)

(↑上の写真)左=バイカオウレン、中と右=セリバオウレン 

 バイカオウレン(梅花黄蓮)はキンポウゲ科オウレン属。福島県以南から四国の山の半陰地に生える多年草。昨年朝ドラの「らんまん」で牧野富太郎翁が愛した花でした。その牧野富太郎記念館では昨年プランターに植えられたものが展示されていましたが、今年は、ここ東薬大植物園では地植えのものが観察できました。バイカオウレン(梅花黄蓮)という名は、根茎が中国原産の漢方薬オウレン(黄蓮)の根に似ており、花が梅の花に似ていることからつけられたということです。

(↑上の写真)左=アズマイチゲ、中と右=コセリバオウレン

 アズマイチゲ(東一華)はキンポウゲ科イチリンソウ属。この花が、見つかったのが東日本だったので「東一華」と呼ばれていますが、今では全国の山地や山麓の日当たりの良い場所に分布しています。花の花弁は萼が変化したもの、花の下に3出複葉の葉が3枚輪生。スプリング・エフェメラルの一種。

(↑上の写真)いずれもナニワズ(ナニワズはナニワヅ=難波津?)

 ナニワズジンチョウゲジンチョウゲ属。中部地方、東北地方、北陸地方南千島、サハリンの山地に生える雌雄異株の落葉小低木。冬の間に落葉樹の下で日光を受けて光合成を行い、早春に金色の花を咲かせ、夏には林内の中高木が葉を広げ、ナニワズのような小低木が生える林床には日光が届かなくなると落葉し、赤い実をつける。秋には、若芽を出し、林床に陽光が届く冬に備え、葉を広げ、栄養を蓄え早春を待つ、ことを繰り返している。なかなかの知恵者です。ナニワズの名を聞いた時にはその語源が知りたくなりました。しかし、牧野富太郎翁は「ナニワズは、オニシバリに対する長野県の方言で、長野県の人が北海道に移住して本種を見てオニシバリと見違え、ナニワズと呼んだことが始まりである」としています。多くの図鑑が、なぜ、ナニワズという方言ができたのか?は、解明せず右へ倣えをしています。そこに『植物和名の語源』を著した深津正氏が切り込んでいますので、耳を傾けることにします。「応仁天皇の頃来朝した百済王仁の詠んだ『難波津に咲くや此の花冬ごもり / 今を春べと咲くや此の花』は、その後、手習いの初歩の手本として用いられたため古くから人々に知られていた。この歌の「此の花」は、梅の花だが、雪深い北国の人々が、長い冬ごもりの生活から解放され、残雪の合間から鮮やかな黄金色に咲き始めたこの木の花の姿を目にした時、おそらく手習いで「難波津に」の歌を知るほどの人は、まず、これを念頭に浮かべ、春到来の感懐を見事に歌い上げたこの一首を正に実感として受け止めたのではなかろうか。そうしていつしか「難波津」がこの植物の呼び名となった。こういった語源の解釈はどんなものであろうか」と。皆さんは如何でしょうか。(山渓ハンディ図鑑「樹に咲く花」、山渓カラー名鑑「日本の樹木」、「牧野新日本植物図鑑」、深津正著「植物和名の語源」、Web:あきた森づくり活動サポートセンター、などを参照、引用、翻案させていただいた。)

(↑上の写真)いずれもオニシバリ(鬼縛り)

 オニシバリ(鬼縛り)はジンチョウゲジンチョウゲ属の夏に落葉する小低木。東北地方南部から九州まで分布する日本固有種。有毒植物で雌雄異株。ジンチョウゲ属なのでジンチョウゲやナニワズと同じような花が咲きます。花びらのように見えるものは萼が変化したもの、花の下の葉のように見えるものは総苞片が変化したもの。オニシバリ(鬼縛り)という名は、樹皮が強靭で、これで縛られると鬼も降参したということから。この樹皮は和紙の原料にもなります。別名ナツボウズ(夏坊主)と言われるのは、夏に落葉し、他の木々は青々した葉をつけているのに、この木は葉をつけていないことから。面白い命名のされ方の木ですね。

(↑上の写真)左=ウグイスカグラ(咲き始め)、中と右=モクレイシ

(↑上の写真)左と中=セントウソウ、右=ニホンズイセン

(↑上の写真)左と中=サルココッカ・コンフサ、右=ニオイカントウ

府中市立府中郷土の森・・・2月15日

 梅まつり(3月3日まで)の最中で、梅も満開で見ごたえがありました。今日は最高でした。マンサクは「早春の黄花三友」ロウバイ、マンサク、サンシュユのひとつとして2月の半ばに咲きますが、これも見頃でした。ソシンロウバイはほとんど咲き終わっていました。観賞のあとは、三旧田中邸古民家の「美蔵」の名物「梅そば」をいただきましょう。美味しいです。今日の様子です。

(↑上の写真)左=郷土の森入口、中と右=マンサク(満作、万作)

 マンサク(満作、万作)は、マンサク科マンサク属。田中肇著『花の顔』によると「早春の花は寿命が長く、大抵1週間以上咲き続ける。マンサクの花もそうだ。花が咲く頃は、まだ雪の降るような寒い日もあり、昆虫が活動できるほど暖かい日は少ない。その暖かい日を待って花はじっと耐えるのである。小さな萼は紫褐色だ。雄しべ雌しべも同じ色で統一されている。紫褐色はハエに、肉を連想させ、反射的に口を伸ばさせるからだ。そこには4本の密腺があり、葯が花粉をかかげて待ち構えている。4枚ある黄色の花弁は紐状で捻じれている。雄しべも4本。葯の左右には丸い蓋があり開花すると、真上に跳ね上がる。黄色の花粉は、蓋の裏についている。花は横向きに咲き、かすかに肉桂(にっけい)の香りがする。蜜は褐色の棒状の密腺から出る」と。全文引用させていただきました。

(↑上の写真)どれもフジボタンシダレ(藤牡丹枝垂れ)

 佐川光晴著『満天の花』より「2月19日をもって万延から文久改元されて8日目の2月27日に前回と同じ面々が辰ノ口に集まった時には紅白の梅が咲き、邸内にまで香が漂っていた。しかし、誰もそれを話題にしなかったのは、仰天の重大事が起きていたからだ。『ついに、ロシアが対馬を獲りにきおったか』最年長の遠藤様が口を開き、帯から扇子を抜いて自分の腿をぴしゃりと打った。ロシア国旗を掲げた軍艦ポサドニック号が対馬の尾崎浦に投錨した。対馬藩ではすぐ退帆するよう抗議したが、艦長のピリリョフ中尉はアスコルド号を例に挙げてポサドニック号も修理と食料、水、薪の補給を要求してきた。『よくもぬけぬけと』丸い顔を真っ赤にした水野様が舌打ちした。(現代に通じるできごとが200年前にも起こっていたんですね。しかし、時の担当者は立派に対処していました。邸内に漂う梅の香りが四角張った気持ちを和らげてくれました。)

(↑上の写真)どれもトウバイ(唐梅)

(↑上の写真)どれもベニチドリ(紅千鳥)

(↑上の写真)どれもシロカガ(白加賀)

(↑上の写真)どれもコウメ(小梅)

(↑上の写真)どれもタマガキシダレ(玉垣枝垂れ)

(↑上の写真)左=フクジュソウ福寿草)、中=ニホンスイセン(日本水仙)、右=ウンナンオウバイ雲南黄梅)ただし、花ではなく葉

(↑上の写真)いずれもソシンロウバイ(素心蝋梅)

(↑上の写真)いずれも園内風景