野楽力研究所

近くの自然で野楽力を高めましょう

都立七生公園(程久保地区→南平地区)・令和3年4月30日

 昨夜の雨から打って変わって青空が広がり、太陽が眩しく感じられました。春の草花が咲き終わり、初夏の草花が登場します。今日の自然の様子です。

(都立七生公園へは、多摩動物公園駅から西へ徒歩15分で程久保地区の入口。そこからさらに西へ10分で南平地区入口です。往復しました。二つの公園は繋がっておらず独立しています。南平地区にはトイレがありません。)
程久保地区の様子>

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(↑上の写真)左=程久保地区の入口、中=キンラン、右=ギンラン

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(↑上の写真)左=ヘラオモダカ、中=オカタツナミソウ、右=アマドコロ

 オカタツナミソウ(丘立浪草)はシソ科タツナミソウ属。「APG牧野植物図鑑」によると「本州と四国の丘陵地の木陰に生える多年草」という。これから咲く花穂を伸ばすタツナミソウとは花のつき方がちがい、茎頂にかたまって写真のように紫色の唇形花をつける可愛らしい草花です。

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(↑上の写真)左=フタリシズカ、中=ムラサキサギゴケ、右=ジシバリ

 フタリシズカ二人静)はセンリョウ科チャラン属。「APG牧野植物図鑑」によると「日本各地および中国の温帯から暖帯に分布。山地や林野に生える多年草。茎は分枝せず節がある。高さ30~60㎝。葉は対生し輪生状ではない」という。夏目漱石著『虞美人草』より(宗近家の父と息子一(はじめ)の会話)「一(はじめ)、あの花を見たことがあるかい。あの床に挿してある」蜆子(けんす)和尚一筆(ひとふで)に描いた軸を閑静に掛けて、前に青銅の古瓶を据える。鶴ほどに長い頸の中から、すいと出る二茎に、十字と四方に囲う葉を境に、数珠に貫く露の珠(たま)が二穂ずつ偶(つい)を作って咲いている。「これが例の二人静だ」「覚えておくがいい。おもしろい花だ。白い穂がきっと二本ずつ出る。だから二人静謡曲に静の霊が二人して舞うということがある。」「二人静。ハハハおもしろい花だ」・・・一の結婚話の折に。夏目漱石二人静を愛でたことがあるんですね。

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(↑上の写真)左=タビラコ、中=オニタビラコ、右=ヘビイチゴ

 タビラコ(キク科ヤブタビラコ属)とオニタビラコ(キク科オニタビラコ属)はよく似ていて大きい、小さいくらいの印象しかありませんが、オニタビラコも小さい時があるので、区別点をはっきりさせておくと、これからの観察で、区別がつきすっきりすると思います。花茎ですが、オニタビラコは丈夫に赤くすっと伸びていて茎頂に花をつけています。対してタビラコは、花径は弱々しく青色で倒れ掛かる感じで、すっとは伸びません。さらに葉の先端をそのつもりになって見ると特徴的です。オニタビラコの葉はタンポポの葉のように先端が尖っています。ところが、タビラコの先端は、将棋の駒のような五角形をしています。上の写真、または山野で、よく見て納得してください。この茎と葉の先端の形の区別がつくと育ち方の大小に関係なく、区別がつきます。オニタビラコは生えてる場所によって大きさが極端に違います。タビラコの別名はコオニタビラコ

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(↑上の写真)左=ヤマトウバナ、中=ヤブジラミ、右=ヤマボウシ

 ヤマボウシ(山法師)はミズキ科サンシュユ属。『APG牧野植物図鑑』によると「本州、四国、九州及び朝鮮半島の温帯に分布。山野に普通に見られる落葉高木。高さ3~8m。葉は対生し5~10cmの長卵形。縁がやや波打つ。花は初夏に咲き、4枚の白い総苞が花弁のように見えるが、その中に小花が20~30個球状に集まる。集合果は秋に熟して食べられる。和名山法師は、蕾の集合を坊主頭に、総苞を頭巾に見立てたと思われる」ということです。4枚の花びらのように見えるものは、花を保護するための総苞が変化したものだったんですね。ウィキペディアによると「本来山の谷筋などに自生する樹木であるので、水はけのよい常に水が存在する場所を好む。夏に乾燥すると葉の回りが枯れたり、小枝やひどい場合は全体が枯れたりするので、乾燥させないことが必要である。花・果実・紅葉と3回楽しめる」ということで、これからの季節に花びらのような総苞が日に日に大きくなって白く鮮やかになるのが楽しみです。

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(↑上の写真)左=イヌワラビ、中=リョウメンシダ、右=園路

<南平地区の様子>

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(↑上の写真)左=フジ蔓に塞がれそうな入口、中=ジュウニヒトエ、右=シャガ

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(↑上の写真)左=アマドコロ、中=オカタツナミソウ、右=キンラン(一株のみ)

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(↑上の写真)左=ニョイスミレ、中=ホウチャクソウ、右=キツネノボタン

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(↑上の写真)左=コゴメウツギ、中=すっかり成長したヤブレガサの葉、右=園路

 コゴメウツギ(小米空木)はバラ科スグリウツギ属。『APG牧野植物図鑑』によれば「日本各地及び朝鮮半島と中国に分布し、山地の日当たりのよい所に生える高さ1~1、5mの落葉低木」ということです。花は花径5mm前後の小さなもので、長い5枚の花弁と短い5枚の萼片から形成されています。花弁は白い萼片の間にすらっと伸びた丸いへらのような形のものです。花弁はすぐ散ってしまうので、残りの白い萼片を花弁と見間違えて見ている場合が多いです。小米とは米粒のくだけたものをいうそうで、小さくて白いことの形容です。Web:樹木図鑑によると「名前はウツギではあるが空木ではない。芯には淡褐色の髄が詰まっている」とのこと。

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(↑上の写真)左=ニガナ、中=ムラサキサギゴケ、右=セリバヒエンソウ

 セリバヒエンソウ(芹葉飛燕草)はキンポウゲ科ヒエンソウ属。『日本帰化植物写真図鑑』によれば「中国原産の越年生草本。明治時代に渡来し、東京駒場旧帝大農学部跡に多く見られたという記録があり、現在も東京周辺に多く、郊外の草地や林間の陽地に生える」ということです。まだ全国的には広がっていないので、普通の植物図鑑には載っていません。最近急速に分布を広げているので、帰化植物ですから、要注意です。花の姿が、燕が雨の中を低空飛行しているようなきれいな姿に似ていることから命名されたのではないでしょうか。ヒエンソウとは草姿が全く違います。

 

 

都立八国山緑地・北山公園・・・令和3年4月27日

 元弘の役で鎌倉幕府と戦った新田義貞の久米川古戦場跡や新田義貞が旗を立てた将軍塚など歴史の残る狭山丘陵。その一部に残された八国山緑地と北山公園を夏空を思わせるような青空の下、自然観察に訪れました。尾根道は、緑陰となっており、心地よい涼風が吹き抜けていました。今日の自然の様子です。

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(↑上の写真)どれもキンラン、右=キンランンの群生

 キンラン(金蘭)はラン科キンラン属の多年草で、やや乾いた明るい丘陵地の雑木林に半開きの状態で咲くということです。キンランは移植が難しいと言われます。キンランの根に菌類が共生していて、その菌類は他の樹木の根とも共生関係にあるという複雑な共生状態にあるので、その共生関係を保っての移植は難しいということのようです。それを知らずに購入して移植すると数年で消滅してしまうそうです。和名の金蘭は、はじめ金襴緞子のように豪華な花ということで金襴と思っていましたが、金色のラン(蘭)科の植物ということでした。

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(↑上の写真)どれもギンラン

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(↑上の写真)左と中=ササバギンラン、右=キンラン、ギンランの咲く尾根道

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(↑上の写真)左=ヤブニンジン、中=ヤブジラミ、右=キツネアザミ

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(↑上の写真)左=オオジシバリ、中=オヘビイチゴ、右=ヤブヘビイチゴ

 オヘビイチゴ(雄蛇苺)はバラ科キジムシロ属。「APG牧野植物図鑑」によると本州、四国、九州及び朝鮮半島中国などの暖帯に分布し、野原や田畑のあぜ道など湿ったところに生える多年草という。根生葉や花茎の途中に出るは葉は、5枚の小葉からなり、柄があります。和名雄蛇苺は、ヘビイチゴより大型であるからといいますが、5枚の小葉が特色で他の同類と見分ける判別点となります。また、花はヘビイチゴでは一つが大きく咲きますが、オヘビイチゴは、頭頂に数個つけます。 

 ヤブヘビイチゴ(藪蛇苺)はバラ科キジムシロ属。「APG牧野植物図鑑」によると北海道から琉球列島及び東アジアから南アジアの温帯から暖帯に分布。山地の林の縁などに生える多年草という。茎は地上を這って長く伸び、全体に絹毛を被る。ヘビイチゴに似ているが全体に大形で、小葉は長さ3~7㎝。花は春、径2cm、花托は計1,3~2cm、和名は通常藪の辺りに生えるからということです。

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(↑上の写真)左=ムラサキサギゴケ、中=タビラコ、右=カントウタンポポ

 タビラコ(田平子)はキク科ヤブタビラコ属。本州、四国、九州及び朝鮮半島や中国中部に分布し、田の畔や湿り気のある藪の草むらなどに生える2年草という。高くならず。根生葉はロゼット状を成し、まるで仏さまが坐る丸い座布団ようなので、春の七草でいうホトケノザは、この草を指します。別名コオニタビラコとも呼ばれています。オニタビラコより小さいという意味ですが、オニタビラコより花茎は短く花穂が群がっていません。葉の形は微妙に違います。オニタビラコの葉はタンポポのような葉形ですが、葉の切れ込みの具合が全く違います。

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(↑上の写真)左=コウゾリナ、中=ユウゲショウ、右=アヤメ

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(↑上の写真)左=カマツカ、中=ヤマボウシ、右=ヤマウルシ

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(↑上の写真)左=夏を思わせる青空、中=久米川古戦場碑、右=将軍塚

 



 

都立浅間山公園・・・令和3年4月23日

 府中市にある都立浅間山公園は、古多摩川が流れていた時に多摩丘陵から切り離されムサシノキスゲが独特の進化を遂げたことで有名です。毎年5月の連休にキスゲ祭りが行われます。(本年は昨年に続き中止)キンランでも有名です。今日は青空がすっきり晴れ上がり、珍しく富士山が遠望されました。今日の浅間山の様子です。

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(↑上の写真)どれもムサシノキスゲ、右=群生の様子

 ムサシノキスゲ(武蔵野黄菅)は、ススキノキ科(以前はユリ科)ワスレグサ属。キスゲ浅間山で独自の進化をし、変種したもので檜山庫三著「武蔵野植物記」に檜山氏がムサシノキスゲ命名し、花型はニッコウキスゲよりもノカンゾウに近く、芳香があり、葉は8月には枯れ始めるということです。山本研二氏の「東京発花露めぐり」では、「ムサシノキスゲは花のつき方が少し上向き加減」であり、その様子を「受け咲き」と表現しているそうです。ワスレグサ(忘草)属というのは、今昔物語でいうワスレグサ即ちノカンゾウのことと思います。親の墓参りを忘れてしまうというワスレグサでしょう。

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(↑上の写真)どれもキンラン、右=群生の様子

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(↑上の写真)左=ギンラン、中と右=ササバギンラン

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(↑上の写真)左と中=ハンショウヅル、右=ホウチャクソウ

 ハンショウヅル(半鐘蔓)はキンポウゲ科センニンソウ属。本州、九州の山地の林内に生える落葉つる低木。ということは草本ではなく木本ということで、よく見ると冬でも枯れずにのこり、その茎から若芽を出します。和名は、花の形が半鐘に似ていることから名付けられたということですが、洒落た半鐘と思いました。実はセンニンソウ(仙人草)属ということで、仙人のひげを思わせる羽毛状の羽毛の根もとに種子をつけ、それが集まって集合果となっています。タンポポ果の冠毛が羽毛状になったものと考えると想像しやすいです。

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(↑上の写真)左=ジシバリ、中=ニガナ、右=ヒゴクサ

 ジシバリ(地縛り)は、キク科ノニガナ属。北海道から九州まで日当たりのよい山野の裸地によく生える多年草ということです。茎から縦横に地面に貼りつくように匍匐枝を出して広がります。その様子が地面を縛りつけるようだというのでジシバリ(地縛り)の名がついたということです。別の場所に生えていると見間違えるものにオオジシバリがあります。花もジシバリよりも大きいのですが、比較ができないと区別しにくいです。ですが、ジシバリを初めて見るとその葉が丸っこく見えて可愛らしいです。オオジシバリ(4月19日の片倉城跡公園参照)は、葉がへら形で、柄に当たる部分が多少タンポポの葉のように切れ込みがあるので区別ができます。庭に植えても他の植物が生えているところでは日光の取り合いに負けて消滅してしまいます。強そうで弱い、可愛らしい裸地の植物です。

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(↑上の写真)左と中=ムサシアブミ、右=シャガ

 シャガ(射干)はアヤメ科アヤメ属。日本全土及び中国の湿った林下に生える常緑多年草。和名は、深津正著『植物和名の語源』によるとアヤメ科のシャガをヒオウギの仲間と誤認し、漢名射干(やかん)の射(や)を慣用音で「シャ」と読み、シャカンといったものが詰まったものらしいとあります。日本のものはいずれも染色体が3倍体のため種子がつくれず、人為的に株分けで増殖ものといい、自然林内には無いとのことらしいです。葉は、ネギの葉を潰したのと同じで、表裏がない単葉面の葉ということです。花はとてもきれいで林下の貴婦人という感じですね。

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(↑上の写真)左=キスゲ橋、中=尾根筋からの富士山遠望、右=堂山の浅間神社

 

東高根森林公園・・・令和3年4月21日

 神奈川県立東高根森林公園は、JR南武線武蔵溝ノ口南口からバス10分森林公園前下車。この公園ならではのシラユキケシの白い花やワスレナグサ青い花が見られます。キンランはこれからです。エビネは群落で咲いています。今日の自然の様子です。

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(↑上の写真)左=園内風景、中=シラユキケシ、右=オドリコソウ

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(↑上の写真)左=キンラン、中=ササバギンラン、右=シラン

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(↑上の写真)左=エビネ、中=ホソバノアマナ、右=ミツガシワ

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(↑上の写真)左=リュウキンカ、中=レンゲソウ、右=イカリソウ

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(↑上の写真)左=オオハンゲ、中=キツネアザミ、右=チョウジソウ

 チョウジソウ(丁字草)はキョウチクトウ科チョウジソウ属。『APG牧野植物図鑑』によると日本全土の河岸の原野に生える多年草。和名丁字草は「花の形が丁子(フトモモ科)に似た草の意」とあります。しかし、いくら調べても丁子の花とは全く似ていません。しかも、丁子は花が開くと花弁は無くなる、とあります。Web『くすりの博物館:薬草に親しむ』には、「チョウジはモルッカ諸島原産のフトモモ科の常緑樹で、蕾を生薬や香料に用います。蕾の形が釘のような形をしているため、生薬・香料としては、丁子とか丁香(チョウコウ)と呼びました。今では「チョウジ」というよりも、スパイス『クローブ』という方が名前の通りがよいかもしれません。英名のクローブも中国名・和名と同じく、釘を意味するラテン語の”clavus”に由来するといわれています。」と書かれてあり、花の形ではなく、蕾の形が釘の形に似ているから丁子と名づけられたというのです。木の丁子としては、これでいいと思います。丁子草の方は、杉村昇著『名前といわれ 野の草花図鑑』によると「花の形からつけられた名まえです。筒形の花ですが、上部が5つに裂けて、花弁が平たく開くので、横から見た形が漢字の「丁(ちょう)」の字に見えるからといわれます」とあります。すると、木の丁子と草の丁字草とは、名前は、全く関係がないということになりますが、どうでしょうか。

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(↑上の写真)左=ワスレナグサ、中=オランダガラシ、右=セリバヒエンソウ

 ワスレナグサ(勿忘草)はムラサキ科ワスレナグサ属。ヨーロッパ原産の多年草。『帰化植物写真図鑑』によると昭和25年頃から長野県や北海道で逸出したといわれます。シューベルト作曲、近藤朔風訳詞「勿忘草」では、「想い忍びて 朝な夕な 乾くひまなき わが涙 ふみしだかれし 勿忘草よ 汝にみかるる 浮世かは」と歌われています。逸話には、ドナウ川のほとりに咲いていた小さな瑠璃色の花。この草を恋人に摘んであげようとして足を滑らせ、川に流されて亡くなった青年が言った最後の言葉「私を忘れないで」で名づけられたといわれます。日本でも今昔物語に、勿忘草として「紫苑」を、忘草として「野萱草」が載っています。その季節になったら採り上げたいと思います。(ワスレナグサ野楽花言葉)「忘れ得ぬ笑顔」「楽しかった日々」

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(↑上の写真)左=クサイチゴ、中=ハナイカダ、右=クマノミズキ

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(↑上の写真)左=イワガネソウ、中=ヘビノネコザ、右=リョウメンシダ

 

片倉城跡公園・・・令和3年4月19日

 片倉城跡公園の彫刻の広場の中央にあるヒトツバタゴ(ナンジャモンジャ)が満開です。園内ではヤマブキソウが奥の沢で群生し一面を黄色に染めています。イチリンソウは大きな花を、ニリンソウは二輪の花を咲かせています。特にイチリンソウは今が見事です。今日の様子です。

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(↑上の写真)左=「浦島ー長寿の舞」も緑に囲まれて、中と右=ヒトツバタゴ

 ヒトツバタゴ(一つ葉田子)はモクセイ科ヒトツバタゴ属。『牧野植物図鑑』によれば、本州中部の木曽川流域と対馬に自生する雌雄異株の落葉高木。国の絶滅危惧II類 (絶滅の危険が増大している種)に指定されています。和名は一ッ葉のタゴの意味で、タゴはトネリコのこと。トネリコは羽状複葉ですが、本種は単葉なので、一葉トネリコの意味ということです。見慣れない木なので、一名ナンジャモンジャの木ともいわれて親しまれています。野球のバットに用いられるマルバアオダモはモクセイ科トネリコ属で馴染みのトネリコなので、羽状複葉の葉の姿が想像できると思います。また、花も同じような感じがしますね。ところで、佐々木類著『静かなる日本侵略』によると、対馬では島を象徴する花としてヒトツバタゴが大切にされていますが、最近は(註:もう以前のことですが)海外の観光客が植える木槿ムクゲ=韓国の国花)の花が増え始め、ヒトツバタゴが侵略され始めているそうです。対馬の湾を囲むように白い花が海面に映えることを「ウミテラシ」と呼ぶそうですが、いつまでもこういう光景が見られることを祈念したいと思います。

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(↑上の写真)左=イチリンソウ、中=イチリンソウニリンソウ、右=ニリンソウ

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(↑上の写真)どれもヤマブキソウ、右=奥の沢の群落

 ヤマブキソウ(山吹草)はケシ科ヤマブキソウ属。『APG牧野植物図鑑』によると東北地方以南の山地の樹林下に生える多年草で、茎や葉に有毒な黄色の乳液を含むということです。萼片は緑色で2枚、花時には落ちて無くなります。花弁は4枚。雄しべは多数、雌しべは1本。細長い蒴果には種子が多数でき、種子で結構増えます。ヤマブキソウという名は、一見、バラ科のヤマブキに色、形が似ていることによるということですが、名前が先行しているようで、ヤマブキソウはケシ科ヤマブキソウ属で花弁(はなびら)は4枚です。ヤマブキはバラ科なので、花弁は5枚、花の形が違います。しかし、春の同じ時期に黄色く大きな花をつけたところを遠目に見ると、同じように見える感じはしないでもないですね。

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(↑上の写真)左と中=ジュウニヒトエ、右=キランソウ

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(↑上の写真)左=タチツボスミレ、中=ニョイスミレ、右=サギゴケ 

 サギゴケ(鷺苔)はサギゴケサギゴケ属。北海道南部から九州までの田の畔や道端に生える多年草。根元から匍匐枝を長く出し、花茎の下部には葉が群生する。花は春から夏に開き、花冠は長さ1,5~2㎝と大きい。和名鷺苔は、花の様子を鷺に見立てたもので納得。紫花品種はムラサキサギゴケ、白花品種はシロバナサギゴケといわれます。似た花にトキワハゼがありますが、比べると花が小さく、匍匐枝がありません。

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(↑上の写真)左=ユキザサ、中=チゴユリ、右=ホウチャクソウ

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(↑上の写真)左=エンコウソウ、中=オオジシバリ、右=ミツバツチグリ

 エンコウソウ猿猴草)はキンポウゲ科リュウキンカ属。自生地は極東アジア。日本では本州、北海道の山地の湿地に生える多年草リュウキンカの変種ということで一見リュウキンカと見間違えてしまいます。赤っぽい茎先が斜上し、先端で通常2本の花柄を出し、黄色い花をつけます。黄色い花弁(はなびら)のように見えるものは、花弁ではなく萼片が花弁に変化したものだそうです。和名の猿猴草は、この斜上した赤い茎が猿猴が手を延ばした様子に似ているのでつけられたということです。その様子が分かるようで撮ったのが上の写真です。

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(↑上の写真)左=カキドオシ、中=ネコノメソウ、右=タカトウダイ

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(↑上の写真)左=ムサシアブミ、中=ヒエンソウ、右=フジ

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(↑上の写真)左=イヌワラビ、中=オクマワラビ、右=ゲジゲジシダ

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(↑上の写真)左=ゼンマイ、中=カサスゲ、右=丘上の展望

 

小金井公園・・・令和3年4月15日

 昨日の天候に打って変わってすっきり晴れ上がった青空の下、都立小金井公園の自然観察です。江戸東京たてもの園は休園中で中には入れませんでした。サトザクラと言われる八重桜がちょうど盛りを越えたところでした。足元にはカントウタンポポが花盛りです。今日の様子です。

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(↑上の写真八重桜)左=普賢象、中=関山、右=鬱金 

 八重桜バラ科サクラ属)はオオシマザクラを母種として生まれた日本原産の栽培品種のサトザクラ(=八重桜)群のサクラで写真のものはその仲間だそうです。夏目漱石著『こころ』に(主人公私は苦しんでいた論文をようやく書き上げた。)「私の自由になったのは、八重桜の散った枝にいつしか青い葉が霞のように伸び始めた初夏の季節であった。私は籠から抜け出した小鳥の心をもって、広い天地を一目に見渡しながら、自由に羽搏きをした。私はすぐ先生の家へ行った。・・・」(八重桜の青い葉が、隠されていた苞葉を破り「それ!」と伸び出した気持ちと論文を書き上げた私の解放感がぴったり合いましたね。八重桜と主人公私の気持ちとの一体感を感じました。)<一部翻案>

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(↑上の写真)左=ベニバナトキワマンサク、中と右=ボダイジュ

 ボダイジュ菩提樹)はアオイ科シナノキ属(以前はシナノキシナノキ属)。日本で見られる菩提樹は中国中部原産の落葉高木。花序の柄にはへら形の葉状の苞が1個あり、その先に8ミリ前後の球形の果実を7~8個つけます。このへら形の苞と果実の付き方が特徴的です。上の写真のように花の時季になっても、まだ昨年の果実がついていたりします。自然の樹形は、菩提樹らしくとてもきれいです。湯浅浩史文『花おりおり』によると「菩提樹には混乱が見られる。釈迦が悟りを開いたのはインドボダイジュの下。それは、クワ科の熱帯樹。一方、日本の寺院で見かける菩提樹は、中国原産でシナノキ科(→現在アオイ科)。葉がハート形で、先が尖る特色から代用とされたようだ。シューベルトの「冬の旅」の菩提樹は欧州産シナノキの類の雑種」ということです。神代植物公園大温室には、インドボダイジュが「仏教三大聖樹」の一つとして植えられています。

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(↑上の写真)左=フジ、中=ニワトコ、右=ヤマグワ

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(↑上の写真)左=ヘビイチゴ、中=カントウタンポポ、右=カタバミ

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(↑上の写真)左=ニリンソウ、中=カラスビシャク、右=キランソウ

 カラスビシャク(烏柄杓)はサトイモ科ハンゲ属。『APG牧野植物図鑑』によると日本各地の田畑に生える多年草。球茎から1~2枚の葉を出し、葉柄の途中にムカゴをつける。葉身は3小葉。初夏、花茎の先にミズバショウをほっそりさせたような苞に包まれた肉穂花序の花をつける。駆除の困難な雑草という。田中修著『花の顔』によると苞に包まれた肉穂花序の花穂は、下の方には雌花がぎっしりつき、間隔をあけて上部には雄花の花穂がついている。最初は雌花だけが開花し、そこに他の花の花粉をつけた1mmほどのハエが訪れ、他家受粉するが、し終わり、柱頭が枯れるまで逃げ場がないようにして囲う。受粉が完了すると苞の下部にハエの逃げ孔を開き、解放する。その時、上部の雄花が開花し、ハエを招き、花粉まみれにして、他の花の他家受粉を援けるという。それぞれ子孫繁栄のための方策があるようですね。(いずれも一部翻案)

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(↑上の写真)左=ムラサキサギゴケ、中=オオイヌノフグリ、右=オニノゲシ

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(↑上の写真)左=ヤエムグラ、中=アメリカフウロ、右=ウラジロチチコグサ

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(↑上の写真)青空に新緑が映える広々とした小金井公園

 

国分寺万葉植物園・武蔵国分寺公園・・・令和3年3月9日

 国分寺万葉植物園は、国分寺住職だった星野氏が昭和28年から38年にかけて集めた万葉集に歌われている植物の160種が植栽されているとのことです。隣接する武蔵国分寺公園で木に咲いている花を写しに寄りました。今日の様子です。

(1)国分寺万葉植物園にて

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(↑上の写真)左=武蔵国分寺、中=ミツマタ、右=オウバイ

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(↑上の写真)左=フッキソウ、中=ウグイスカグラ、右=ボケ

 フッキソウ(富貴草)はツゲ科フッキソウ属。本州以北の山地の木の下などに生える常緑の多年草牧野富太郎博士によると、富貴草は常緑の葉とこんもり茂る草姿から名付けられ、繁殖を祝う意味を表している、ということです。花は、一見ヒトリシズカを丈夫にしたような感じですね? 花穂は上部が雄花で、その先は分かれて茶色い葯をつけています。花穂の根もとに白く二つに割れているのが雌しべの柱頭です。雄しべや雌しべのみで花弁はない花ということのようです。これから5月にかけてが花の時期ですから、まだまだ観察できます。

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(↑上の写真)左=境内左側万葉植物園、中=ジンチョウゲ、右=タチツボスミレ

 ジンチョウゲ沈丁花)はジンチョウゲジンチョウゲ属。APG牧野植物図鑑では中国原産で日本では室町時代から庭などに栽植されている常緑低木とのこと。沈丁花という名は、沈香(じんこう)と丁子(ちょうじ)の花の香りをあわせ持つことからといわれますが、香りは沈香で花形は丁子に似るとの説もある、ということです。牧野植物図鑑では日本に生えている沈丁花はほとんどが雄木なので実を結ばないが、稀に球形で赤い液果を生ずるものもある、と書かれています。三島由紀夫著「豊饒の海(3)暁の寺」に(終戦後、箱根外輪山の裾野に別荘を建てた本多と、進駐軍などはものともしない隣家の慶子とが親しくなった頃)「まだ蕾の沈丁花がテラスを取り囲み、テラスの一角の餌場は、本館と同じ赤瓦の屋根をつけていた。そこに群がっていた小雀(こがら)たちは、針で突いたような啼音(なきね)を立てて、近づく本多と慶子の姿を見るなり翔った。」 終戦直後の疲弊した世の中から隔絶した上流社会の別荘の白いテラスに凭れる男女二人の姿が目に浮かびます。辺りの静寂と沈丁花の馥郁たる香りが二人を包み、時折、林の中から小雀の囀りが聞こえてくるんですね。

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(↑上の写真)左=ニリンソウ、中=タマノカンアオイ、右=ショウジョウバカマ

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(↑上の写真)左=ノキシノブ、中=オオバノイノモトソウ、右=ヤブソテツ

 キシノブ(軒忍)はウラボシ科、常緑のシダ。ノキシノブのことを万葉集では「子太草(しだ草)」と呼んでいます。巻11の2475(作者不詳)では「我が宿の軒にしだ草生ひたれど恋忘れ草見れどいまだ生ひず」と詠まれています。現代語訳では「庭の軒下には、しだ草は生えてきたけれど恋忘れ草の方は見ても見てもいまだに生えてこない」となっています。「恋忘れ草」は「萱草(現代でいうノカンゾウ)」です。勝手な解釈をしてみました。「ノキシノブは何もしなくても家の軒下に勝手に生えてくるのに、あの人との恋は忘れたいと思って、忘れ草が生えてくるのを願って願って一生懸命見守っているのに、忘れ草は少しも生えてこないのは何と皮肉なことでしょう」気持ちはわかりますね。

(2)武蔵国分寺公園にて

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(↑上の写真)左=手前がコブシ、奥がハクモクレン、中=コブシ、右=ハクモクレン

 コブシ辛夷・拳)は、モクレンモクレン属の落葉高木。野上彌生子著「秀吉と利休」に、コブシの白い蕾が印象深く描かれています。(聚楽第の利休の邸の庭は、後園の風情で造られ、樹木が多い。)「その中でひときわ際立つのは、黒板塀の彼方の古いこぶしの樹であった。寒いうちは、黄黒い毛のついた鞘に用心深く包まれていたのが、すでにけざやかに白い蕾になった。それとて太筆の穂ぐらいしかまだない。利休は、ただ紡錘型の清明な蕾のみを枝いっぱいに群がらせて立つ姿に、毎年まず早春を感ずるのであった。鶯がすでに整った調子でしきりに鳴いた」と。利休は、頼りにしていた秀長亡きあと、秀吉、三成、鳥飼彌兵衛などとの関係に悩みながら、このこぶしの蕾に眼をやるのでしたね。(一部翻案)

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(↑上の写真)左=サンシュユ、中=ボケ、右=ユキヤナギ

 ユキヤナギ(雪柳)は、バラ科シモツケ属。雪柳というと実話に基づいた三浦綾子著「塩狩峠」を思い出しますね。仏教徒からキリスト教徒に変わった信夫とふじ子の感動に満ちた小説でした。峠を登れず逆走し始めた列車に乗っていた信夫が他の乗客の命を救うために吾身を線路に投げ出し、列車は信夫の上に乗り上げて止まったんですね。「(一緒に現場まで来た兄が声を掛けた)『ふじ子大丈夫か。事故現場までは相当あるよ』ふじ子はかすかに笑って、しっかりとうなずいた。その胸に、真っ白な雪柳の花束を抱きかかえている。ふじ子の病室の窓から眺めて、信夫がいく度か言ったことがある。『雪柳って、ふじ子さんみたいだ。清らかで、明るくて』そのふじ子の庭の雪柳だった」(事故があったのは、二人の結納の日で、ふじ子は、札幌駅で信夫の来るのを今か今かとじっと待っていたんでしたね。そして信夫のまぼろしに抱きつくと気絶するんでした。)