野楽力研究所

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国分寺万葉植物園・武蔵国分寺公園・・・令和3年3月9日

 国分寺万葉植物園は、国分寺住職だった星野氏が昭和28年から38年にかけて集めた万葉集に歌われている植物の160種が植栽されているとのことです。隣接する武蔵国分寺公園で木に咲いている花を写しに寄りました。今日の様子です。

(1)国分寺万葉植物園にて

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(↑上の写真)左=武蔵国分寺、中=ミツマタ、右=オウバイ

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(↑上の写真)左=フッキソウ、中=ウグイスカグラ、右=ボケ

 フッキソウ(富貴草)はツゲ科フッキソウ属。本州以北の山地の木の下などに生える常緑の多年草牧野富太郎博士によると、富貴草は常緑の葉とこんもり茂る草姿から名付けられ、繁殖を祝う意味を表している、ということです。花は、一見ヒトリシズカを丈夫にしたような感じですね? 花穂は上部が雄花で、その先は分かれて茶色い葯をつけています。花穂の根もとに白く二つに割れているのが雌しべの柱頭です。雄しべや雌しべのみで花弁はない花ということのようです。これから5月にかけてが花の時期ですから、まだまだ観察できます。

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(↑上の写真)左=境内左側万葉植物園、中=ジンチョウゲ、右=タチツボスミレ

 ジンチョウゲ沈丁花)はジンチョウゲジンチョウゲ属。APG牧野植物図鑑では中国原産で日本では室町時代から庭などに栽植されている常緑低木とのこと。沈丁花という名は、沈香(じんこう)と丁子(ちょうじ)の花の香りをあわせ持つことからといわれますが、香りは沈香で花形は丁子に似るとの説もある、ということです。牧野植物図鑑では日本に生えている沈丁花はほとんどが雄木なので実を結ばないが、稀に球形で赤い液果を生ずるものもある、と書かれています。三島由紀夫著「豊饒の海(3)暁の寺」に(終戦後、箱根外輪山の裾野に別荘を建てた本多と、進駐軍などはものともしない隣家の慶子とが親しくなった頃)「まだ蕾の沈丁花がテラスを取り囲み、テラスの一角の餌場は、本館と同じ赤瓦の屋根をつけていた。そこに群がっていた小雀(こがら)たちは、針で突いたような啼音(なきね)を立てて、近づく本多と慶子の姿を見るなり翔った。」 終戦直後の疲弊した世の中から隔絶した上流社会の別荘の白いテラスに凭れる男女二人の姿が目に浮かびます。辺りの静寂と沈丁花の馥郁たる香りが二人を包み、時折、林の中から小雀の囀りが聞こえてくるんですね。

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(↑上の写真)左=ニリンソウ、中=タマノカンアオイ、右=ショウジョウバカマ

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(↑上の写真)左=ノキシノブ、中=オオバノイノモトソウ、右=ヤブソテツ

 キシノブ(軒忍)はウラボシ科、常緑のシダ。ノキシノブのことを万葉集では「子太草(しだ草)」と呼んでいます。巻11の2475(作者不詳)では「我が宿の軒にしだ草生ひたれど恋忘れ草見れどいまだ生ひず」と詠まれています。現代語訳では「庭の軒下には、しだ草は生えてきたけれど恋忘れ草の方は見ても見てもいまだに生えてこない」となっています。「恋忘れ草」は「萱草(現代でいうノカンゾウ)」です。勝手な解釈をしてみました。「ノキシノブは何もしなくても家の軒下に勝手に生えてくるのに、あの人との恋は忘れたいと思って、忘れ草が生えてくるのを願って願って一生懸命見守っているのに、忘れ草は少しも生えてこないのは何と皮肉なことでしょう」気持ちはわかりますね。

(2)武蔵国分寺公園にて

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(↑上の写真)左=手前がコブシ、奥がハクモクレン、中=コブシ、右=ハクモクレン

 コブシ辛夷・拳)は、モクレンモクレン属の落葉高木。野上彌生子著「秀吉と利休」に、コブシの白い蕾が印象深く描かれています。(聚楽第の利休の邸の庭は、後園の風情で造られ、樹木が多い。)「その中でひときわ際立つのは、黒板塀の彼方の古いこぶしの樹であった。寒いうちは、黄黒い毛のついた鞘に用心深く包まれていたのが、すでにけざやかに白い蕾になった。それとて太筆の穂ぐらいしかまだない。利休は、ただ紡錘型の清明な蕾のみを枝いっぱいに群がらせて立つ姿に、毎年まず早春を感ずるのであった。鶯がすでに整った調子でしきりに鳴いた」と。利休は、頼りにしていた秀長亡きあと、秀吉、三成、鳥飼彌兵衛などとの関係に悩みながら、このこぶしの蕾に眼をやるのでしたね。(一部翻案)

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(↑上の写真)左=サンシュユ、中=ボケ、右=ユキヤナギ

 ユキヤナギ(雪柳)は、バラ科シモツケ属。雪柳というと実話に基づいた三浦綾子著「塩狩峠」を思い出しますね。仏教徒からキリスト教徒に変わった信夫とふじ子の感動に満ちた小説でした。峠を登れず逆走し始めた列車に乗っていた信夫が他の乗客の命を救うために吾身を線路に投げ出し、列車は信夫の上に乗り上げて止まったんですね。「(一緒に現場まで来た兄が声を掛けた)『ふじ子大丈夫か。事故現場までは相当あるよ』ふじ子はかすかに笑って、しっかりとうなずいた。その胸に、真っ白な雪柳の花束を抱きかかえている。ふじ子の病室の窓から眺めて、信夫がいく度か言ったことがある。『雪柳って、ふじ子さんみたいだ。清らかで、明るくて』そのふじ子の庭の雪柳だった」(事故があったのは、二人の結納の日で、ふじ子は、札幌駅で信夫の来るのを今か今かとじっと待っていたんでしたね。そして信夫のまぼろしに抱きつくと気絶するんでした。)