野楽力研究所

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都立七生公園・・・令和4年10月4日

 都立七生公園は多摩動物園の西に隣接した程久保地区と少し離れた南平地区とで構成されています。入口が目立たないこともあり、訪れる人も少ないようです。まして秋分の日を過ぎ、咲き終えた草花が多く、これはと思う、気になるものも少ないようです。そうはいっても、草花たちは冬の前に秋の実りの時を迎え、頑張っています。この時期に訪れたことがないので、訪ねてみました。今日の様子です。

【↓程久保地区にて】

(↑上の写真)左=程久保地区入口、中=キンモクセイ、右=ススキ

(↑上の写真)左=セイタカアワダチソウ、中=ゴンズイ、右=クサギ

 セイタカアワダチソウ(背高泡立草)はキク科アキノキリンソウ属。APG牧野植物図鑑によると「北アメリカ原産で明治30年頃に渡来した帰化植物。各地の土堤や荒地に生える多年草で、第2次大戦後頃から急に多くなった」という。この辺りの事情について多田多恵子著「したたかな植物たち」から引用させていただいた。「セイタカアワダチソウ(背高泡立草)は北米原産の多年草。明治年間に観賞用として輸入されたが、雑草として広がったのは戦後のこと。北九州に進駐した米軍の貨物の中に混ざっていた種子から広がり始めたといわれる。晩秋に咲き、ミツバチの冬越し用の蜜源として養蜂家が各地に植え広がったという説もある。昭和30年代から40年代に全国に広がり、ちょうど花粉症患者が増えた時期と重なり、社会的に大問題になったが、冤罪であること判明。この花は虫媒花で、花粉は虫の体に付着すべき粘り気があって、風が吹いてもあまり飛ばされない。現在(本書の発行は平成14年)も蜜源植物として利用されている。繁殖力の強さは驚異的、一度根付けば地下茎は縦横に長く伸ばして忽ち広がり、林立する茎の数は年々50倍もの速さで増えていく。乾燥にも強く痩せた土地でもよく育つ。地下茎や根からほかの植物の生育を阻害するアレロパシー(他感作用)物質を放出し、他の植物の成長を妨げる。セイタカアワダチソウの増え方にも陰りが見えてきた。自分が出したアレロパシー物質によって汚染された土壌には、自身の種子も芽を出すことが出来ない、ということから、自縄自縛の状態になっているということである。(一部翻案)」という。

(↑上の写真)左=ヒヨドリバナ、中=ニガナ、右=ギンミズヒキ

(↑上の写真)左=タイアザミ、中=カラムシ、右=コアカソ

【↓南平地区にて】

(↑上の写真)左=ホトトギス、中=キバナアキギリ、右=アキノノゲシ

 ホトトギス(杜鵑草)はユリ科ホトトギス属。APG牧野植物図鑑によると「関東地方以西の山地に生える多年草。花は晩秋、葉腋に2~3花ずつ付き、上向きで半開する」とあります。葉の様子など一見タイワンホトトギスに似ていますが、タイワンホトトギスは茎の先端から花茎を出しますので、花は茎の先端に咲きます。ホトトギスは葉の脇(葉腋)ごとに花をつけますので、上掲写真のように、茎の節ごとに花がついています。名前の由来は、花びらの斑点が鳥のホトトギスの胸の斑点に似ているのでつけられたということです。

(↑上の写真)左=ヒヨドリバナ、中=ミズヒキ、右=ヤマヨモギ

(↑上の写真)左=水辺の広場近くの園路、中=ベニバナボロギク、右=クワクサ

 ベニバナボロギクはキク科ベニバナボロギク属。山渓カラー名鑑「日本の野草」によると「アフリカ原産の1年草。第二次世界大戦中、南洋春菊などと呼ばれ兵士たちが食用にした。本土には戦後入り、あっという間に関東まで広がった」とあります。蕾の先に紅をさしたような格好でうなだれている姿は愛らしく、どんなきれいな花が咲くのかと期待して見守っていると、ノボロギクなど他のボロギクの仲間と同じように期待に副わず、開花せずにたんぽ果(たんぽぽのような綿毛の種子)になってしまいます。

 

(↑上の写真)左=イノコヅチ、中=ツルマメ、右=ムラサキシキブ(未熟の実)