野楽力研究所

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都立神代植物公園・・・令和6年6月7日

 バラフェスタも終わり、混雑していた植物園も、今日は閑散としていました。バラ園のバラも少しは残っていますが、ほとんど咲き終わっています。ハナショウブ展(6月16日まで)とアジサイ展(6月23日まで)が開かれています。展示場の展示は雰囲気よく展示されています。園内のアジサイはところどころで咲いています。水生園のハナショウブは近寄れないのが残念です。今日の様子です。

(↑上の写真)左=入場して迎えてくれる少女像、中と右=ハナショウブ展の様子

【↓ハナショウブ展の出品作】

(↑上の写真)左=東雲(しののめ)、中=加茂川、右=明石

(↑上の写真)左=山蜀の魂(さんしょくのたま)、中=錦の里、右=烏鵲の渚(うじゃくのなぎさ)

(↑上の写真)左=相生、中=雪の峯、右=玉津島

(↑上の写真)左=文の糸、中=連城の璧(れんじょうのたま)、右=潮来

(↑上の写真)左=夕霧、中=新宇宙、右=夏姿

【↓アジサイ展の出品作】

(↑上の写真)左と中=あじさい展の様子、右=カシワバアジサイ

(↑上の写真)左=パープルリンク、中=ブルー・スカイ、右=カメレオンアジサイ

【↓園内にて】

(↑上の写真)左=ノカンゾウ(野萱草)、中=アメリデイゴ、右=ナツメ(棗)

 ナツメ(棗)はクロウメモドキ科ナツメ属。『APG牧野植物図鑑』によると「西アジアから中国北部の原産で、人家で栽植される落葉小高木」という。松田修著『花の文化史』に「ナツメの名は、芽出しが遅く夏に芽が出るからである」ということです。秋の実りの頃の実は茶道で使う棗の形をしています。花は、こんなに地味なんですね。

(↑上の写真)左=ミヤギノハギ、中=ムシトリナデシコ(虫取り撫子)、右=キリンソウ(麒麟草)

 キリンソウ麒麟草)はベンケイソウ科キリンソウ属。APG牧野植物図鑑によると「北海道、本州、四国、九州、および沿海州朝鮮半島、中国の暖帯から温帯の山地や海岸の近くの乾いた岩の上に生える多年草」とあります。牧野新日本植物図鑑には「麒麟草は何の意味であるか不明」とあります。湯浅浩史著「花おりおり」には、キリンソウは黄輪草がぴったりと、書かれています。花が、植物体のてっぺんに、輪状に付くのでふつうに「黄輪草」と呼んでいたのが、のちに、中国の伝説の「麒麟」に因んで「麒麟草」と書かれるようになったのではないでしょうか。(ビールの)麒麟とは何の関係もないようです。

(↑上の写真)左=ブタナ(豚菜)、中=ツキミソウ(月見草)、右=キンシバイ(金糸梅)

 ツキミソウ(月見草)はアカバナ科マツヨイグサ属。『APG牧野植物図鑑』によると「メキシコ原産。嘉永年間(1850年頃)日本に渡来し、観賞用として栽培された2年草。全体に細毛が多い。茎は直立し高さ60cmくらい。花は夏、夕方開き翌朝萎んで紅くなる。萼は花時外側へ反る。月見草は夕方開く白い花弁を夕月にたとえたもの。マツヨイグサなどと同時に渡来したが、弱いため野生化せず、今日ではほとんど見られない」とあります。この草の名札に「ツキミソウ」とあったので、ツキミソウという草があったんだということに気づきました。それまでツキミソウというのは歌などの歌詞にはありますが、正式植物名はマツヨイグサとばかり思っていました。「今日ではほとんど見られない」ということですから、それと出会えただけでも足を運んだ価値がありました。因みにピンクのヒルザキツキミソウ(昼咲月見草)はたくさん見られます。

(↑上の写真)左と中=ヒメザクロ(姫柘榴)、右=タイサンボク(泰山木)

 タイサンボク(泰山木)はモクレンモクレン属。『APG牧野植物図鑑』によると「北アメリカ原産。明治初年に日本へ渡来し、庭園などに植栽された常緑高木。葉は互生し、長さ10~20cmで革質、光沢があり裏面は鉄錆色の密毛があり、裏側へ少し反る。花は初夏、径12~20cm、強い香りを出す。和名は大盞木、大山木、泰山木などと書かれるが花や葉が大きいので称賛した名」とあります。深津正著『植物和名の語源』によると「タイサンボクの花は花弁6枚、萼片3枚。萼片3枚が花弁状に変化しているので、花弁が9枚あるように見える。一個の花の寿命は2・3日だが次々に咲き出るので樹全体としてみた花期は長い。タイサンボクは、北米東南部原産の樹木で、明治6年(1873)日本に入ったが、明治12年南北戦争で勇名をとどろかせたグランド将軍が日本を訪れ、明治天皇が将軍を上野公園に案内された際、記念に将軍夫妻が、この木を植え、それ以来有名になった」ということです。また、同書の中で「松崎直枝著『趣味の樹木』によると「大山木とあれど、自分がここに敢えて泰山木の字を用いる所以のものは、義は泰山よりも重しと云う詞(ことば)に因む」とあり、これによれば、泰山木の文字は松崎氏によって使い始められたものらしい」とあります。

【↓深大寺にて】

(↑上の写真)左=深大寺、中と右=ボダイジュ(菩提樹

 ボダイジュ菩提樹)はアオイ科シナノキ属。日本で見られる菩提樹は中国中部原産の落葉高木。花序の柄にはへら形の葉状の苞が1個あり、その先に8ミリ前後の球形の果実を7~8個つけます。このへら形の苞と果実の付き方が特徴的です。(秋に観察するのが楽しみです。)湯浅浩史文「花おりおり」によると「菩提樹には混乱が見られる。釈迦が悟りを開いたのはインドボダイジュの下。それは、クワ科の熱帯樹。一方、日本の寺院で見かける菩提樹は、中国原産でシナノキ科(→現在アオイ科)。葉がハート形で、先が尖る特色から代用とされたようだ。シューベルトの『冬の旅』の菩提樹は欧州産シナノキの類の雑種」ということです。

【↓水生植物園にて】

(↑上の写真)いずれも水生植物園の様子

(↑上の写真)左と中=ハンゲショウ半夏生)、右=テイカカズラ(定家葛)

 テイカカズラ定家蔓)はキョウチクトウ科テイカカズラ属のつる性常緑低木。『APG牧野植物図鑑』によると「本州と四国、九州および朝鮮半島に分布。茎は傷つけると乳液を出す(有毒)。花は初夏、白花でのちに黄色、芳香がある。花冠は右旋回。和名は歌人藤原定家に因む」とあります。謡曲『定家』に「(北国の僧が同行の僧と都に上り、千本の辺りで初冬の景色を眺めていると、時雨が降り出し、由ありげな庵で晴れ間を待つ。すると女が現れ、ここが定家卿の建てた時雨亭であると教え昔を懐かしむ。さらに今日はある人の追善供養の日と告げ、蔦葛に纏われた式子内親王の墓に案内する。もと賀茂の斎院内親王は、退任後、定家との秘めた恋が世間に漏れたため、二度と会えぬまま世を去った。一方、定家の思いは晴れず、内親王の死後も、その執心が蔦葛となって墓に纏わりついていると語り、自分こそ式子内親王と告げ、苦しみからの救いを求めて姿を消す。所の者が僧の問いに答えて、内親王と定家の秘めたる恋や定家葛の由来を語り、弔いを勧めて退く。その夜、読経し弔っている僧の前に、痩せ衰えた内親王の霊が、在りし日の恋を追慕しつつ墓の中から現れる。僧の読経する法華経・薬草喩品の功徳で定家葛の呪縛が解け、苦しみが和らいだと喜び、衰え果てた醜い姿を恥じつつ報恩のために舞を舞う。しかし、再び墓の中に帰り、定家葛に纏わりつかれ、姿は見えなくなってしまった」という物語が載っています。テイカカズラの絡む様子を見る度に式子内親王の苦しみと定家の執念に思いを馳せるところです。

(↑上の写真)左=ムラサキシキブ紫式部)、中=エゴノキ(漢字無し)の実、右=クマノミズキ(熊野水木)

 エゴノキ(和名の漢字は無し、野茉莉」を当てることがありますが、これは漢語)は、エゴノキエゴノキ属。このエゴノキは属名の代表になっています。現在、花が終わり、実ができ始めています。この実が垂れ下がった様子を「森の裸電球」と表現した人がいました。電球が点いたら、鬼火を思わせるような感じでしょう。この実の果皮にはサポニンが含まれているので、この実を口にすると口の中が大変なことになります。この感じをえぐい(蘞い・醶い)というそうです。この「えぐい木」という表現がいつの間にか「エゴノキ」になったということなので、名前としての漢字が無いということになったようです。白く緻密な材をロクロ細工に用いたことから別名「轆轤木(ろくろぎ)」というそうですが、これを標準和名にしたいです。因みに「エゴノキは、北海道から琉球列島まで、及び朝鮮半島や中国の温帯から亜熱帯に分布。山野の小川の縁などに生える落葉小高木」ということです。

【↓バラ園にて】

【↓大温室にて】

(↑上のサボテンについて)左=金鯱、中=弁慶柱、右=吉祥天