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東京薬科大学薬用植物園・・・令和5年10月16日

 この薬用植物園は八王子市堀之内にあり、薬用植物園としては、都内随一の広さ(41,000㎡)を誇り、園内で見られる野生植物は約500種、栽培植物は約1500種を擁しています。シュウメイギク、シオン、紅花ゲンノショウコイヌサフランなどが花盛りで、サンシュユ、ナツメ、カラスウリなどが実っています。今日の様子です。

(↑上の写真)左=薬用植物園入口、中=シュウメイギク秋明菊)、右=シモバシラ(霜柱)(花です)

 シュウメイギク秋明菊)はキンポウゲ科イチリンソウ属。別名キブネギク(貴船菊)。中国、台湾に分布するキンポウゲ科多年草で、日本には古い時代に中国から渡来したものが帰化し、野生化したと考えられているそうです。京都の貴船地方に野生化したものがキブネギクで、本来のシュウメイギクだそうで、これを原種として改良、園芸化したものが現在の秋明菊。「キク」と名前に付いていますが、キク科ではなく、キンポウゲ科です。花弁のように見える部分は咢片で、本来の花弁は退化しているそうです。中央に多数密集しているのが雄しべと雌しべ。花色は様々、一重咲き、八重咲きもあります。

(↑上の写真)左=エゴマ(荏胡麻)、中=レモンエゴマ檸檬胡麻)、右=シオン(紫苑) 

 エゴマ(荏胡麻)はシソ科シソ属。『ウィキペディア』に「東南アジア原産とされ、日本では本州から九州にかけて自然分布している。葉と種実(しゅじつ)を食用、または油を採るために栽培される。古名、漢名は、荏(え)。名称に「ゴマ」とつくが、ゴマ(ゴマ科ゴマ属)とは別の種の植物である。和名の由来は、小粒のゴマのような種子を食用にするところから「エゴマ」とよばれるようになったものである。なお、荏原、荏田などの地名は、かつて群生地だったころの名残である」とあります。レモンエゴマを先に知り、元のエゴマは、どんな植物かと思っていましたが、ここの薬用植物園でやっと出会えました。日本には古くから帰化植物として広がっていたようですが、多分、シソ(青紫蘇)と思って見過ごしていたのでしょう。花は終わりかけていましたが、唇形花のような白い小さな花を咲かせていました。荏原という地名の由来にもなっていたんですね。

(↑上の写真)左=カワミドリ(川緑)、中=タバコ(煙草)の花、右=タバコの草姿

 カワミドリ(川緑・川碧)はシソ科カワミドリ属。『APG牧野植物図鑑』に「東アジアの温帯から暖帯に分布。北海道から九州の山の草原に生える多年草。茎は四角く上部で分枝し、全体に特有な香りがある。花は夏から秋。花序は紫色で小さい唇形花を多数、密につける。4本の雄しべは長く、花外(はなそと)に飛び出す。茎や根、葉を乾かして風邪薬などにする」とあります。4本の雄しべは長く、花外に飛び出している様子は写真からも分かりますね。和名の由来は不明で、どの図鑑も触れていません。

(↑上の写真)左=紅花ゲンノショウコ(現の証拠)、中=チョウセンアサガオ朝鮮朝顔)、右=ウコン(鬱金

(↑上の写真)左=ハッカ(薄荷)、中=シロネ(白根)、右=ライオンズイヤー

 ハッカ(薄荷)はシソ科ハッカ属。Web『ヤサシイエンゲイ』に分かりやすい解説が載っていましたので引用します。「ハッカは、日本(北海道・本州・四国・九州)、朝鮮半島、中国、シベリア、サハリンなどに分布する、毎年花を咲かせる多年草です。日当たりが良くてやや湿り気のある所に自生します。あまり場所を選ばずよく育ちます。適地でいったん根付いてしまうと地下茎を広げてたくさんの芽を出して茂り、場合によっては手に負えなくなるくらい繁茂するので、地植えは早まらずによく考えた方がよいです。ハッカの名前は中国での呼び名「薄荷」を日本語読みしたものです。英名はジャパニーズ・ミントです。ハッカはミント類の中でもメントール(スーッとする成分、ガムとか飴によく入ってます)を最も多く含んでいます。特に日本産のハッカは含有量が多く、昔は精油(エッセンシャルオイル、香りの元で有用な成分を多く含む)を採るためにたくさん栽培されていました。収穫したハッカは蒸留してメントールとハッカ油が精製されて、日本から世界各地に輸出されていました。栽培は江戸時代に岡山ではじまったのが最初とされ、その後明治時代には北海道でも栽培がはじまって昭和の初期に一大産地となり、第二次世界大戦前には世界生産額の大部分を日本産が占めていたそうです。1960年代にメントールが化学合成できるようになると、栽培は衰退しました」ということです。花の付き方が節に輪生し、チアリーダーが使うポンポンのようです。右の写真は園内のその大きいものの代表として掲載しました。どうでしょうか。

(↑上の写真)左=イヌサフラン(犬左府闌)、中=アキギリ(秋桐)、右=キバナアキギリ(黄花秋桐)

(↑上の写真)左=サンシュユ(山茱萸)、中=カラスウリ(烏瓜)、右=オオバアサガラ(大葉麻殻)

(↑上の写真)左=フジバカマ(藤袴)、中=ワレモコウ(吾亦紅)、右=カメバヒキオコシ(亀葉引き起し)

 ワレモコウ(吾亦紅・吾木香)はバラ科ワレモコウ属。『APG牧野植物図鑑』によると「北海道、本州、四国、九州、及び朝鮮半島からユーラシア大陸の暖帯から温帯に広く分布し、山野の草原に生える多年草」とあります。湯浅浩史著『花おりおり』によると「誤解の花である。ワレモコウの表記が広く知られたのは、久米正雄の小説からであろう。渋い暗紅色を「吾も紅」と納得する人は多い。が、植物学者前川文雄博士の説は違う。蕾が宮中の御簾の上部を飾る帽額(もこう)の模様から生じた木瓜紋もっこうもん)に似て、四つに割れ目が入っているので「割れ木瓜」を語源とする」と強い口調で戒めています。諸田玲子著『今ひとたびの、和泉式部』に「太后太皇太后昌子内親王)のあとを追いかけて(和泉式部の)母が彼岸へ旅立ったのは、松林の下陰に吾亦紅がちらほら灯り、虫が鳴きはじめる季節だった。―――式部の懐妊はまだ家族や夫、赤染衛門などごくわずかな人しか知らなかった。(誰の子を懐妊したのかを疑われている、じっとしておらねばならない時だった。)」

(↑上の写真)左=ナツメ(棗)、中=キササゲ(木大角豆)、右=ホンアマリリス(本アマリリス

 ナツメ(棗)はクロウメモドキ科ナツメ属。(以前ナツメ科だった。)『APG牧野植物図鑑』によると「西アジアから中国北部の原産で、人家で栽植される落葉小高木」ということです。夏目漱石がナツメについて小説の中に書いています。夏目漱石著『行人』「(この家を出て下宿するとなると二郎は急にいろいろ思い出された。)自分は子供の自分からこの金盥を見て、きっと大人の行水に使うものだとばかり想像してひとり嬉しがっていた。金盥は今塵で侘しく汚れていた。低いガラス戸越しには、これも自分の子供時代から忘れ得ない秋海棠が、変わらぬ年毎の色を淋しく見せていた。自分はこれらの前に立って、よく秋先に玄関前のを兄とともに叩き落して食ったことを思い出した。自分はまだ青年だけれども、自分の背後にはすでにこれだけ無邪気な過去がずっと続いていることを発見したとき、今昔の比較が自ずから胸に溢れた」……我が家を出ようとする二郎の目に、子供時代の光景が彷彿と浮かぶのでしたね。

(↑上の写真)左=ナキリスゲ(菜切菅)、中=キンモクセイ金木犀)、右=ブッシュセージ

 キンモクセイ金木犀)はモクセイ科モクセイ属。『APG牧野植物図鑑』によると「庭木として植栽される常緑小高木で、中国原産とされるが、ウスギモクセイから日本で選抜されたとする意見もある」ということです。雌雄異株。漢名は「丹桂(たんけい)」、丹は橙黄色の花を表し、桂はカツラではなく、モクセイ類の総称。日本のモクセイは雄株とされ、結実しない、といわれます。中国の桂林はカツラの林ではなくモクセイの林ということです。尾崎士郎著「人生劇場」愛慾篇(駆け出しの小説家、竹野原丈一を囲んだ文学青年の集まりを青成瓢吉は一人抜け出して京橋の方へ歩き出した。それを追うようにやはり、集まりを脱け出してきた小岸照代が追いかけてきた。)とりとめない会話を続けながら、もう二人はどっちの方向へ歩いているのかわからなかった。人通りのうすい横町へまがると木犀のかおりがどこからともなく流れてきた。薄雲った月夜である。裏町のさびしい通りである。(木犀の香りが二人をつつみ)彼は衝動的に彼女の肩を抱きしめようとしたとき、照代はするりと身をかわした。「今、何時かしら?」・・・その後、二人の足音だけがかさかさに乾いた路上にかすかなひびきを残した。「どうなすったの?」照代が瓢吉の顔を覗き込んだ。→大人の小説でしたね。

(↑上の写真)左=大学校舎、中=ドジョウヶ池、右=見本園入口