野楽力研究所

近くの自然で野楽力を高めましょう

東京多摩地区街中自然観察・・・令和6年4月19・20日

 草花が随分多くなり街中での自然観察が楽しくなってきました。昨日と今日の様子をご紹介します。

(↑上の写真)左=街中風景、中=オニタビラコ(鬼田平子)、右=ハハコグサ(母子草)

 ハハコグサ(母子草)はキク科ハハコグサ属。『APG牧野植物図鑑』によると「東アジアの温帯から熱帯に分布し、日本では各地の道ばた、畑、荒地などにふつうに生える越年草。葉と共に白軟毛でおおわれる。花は春から夏。和名は、本来はホオコグサが正しく、茎の白毛や花の冠毛がほおけ立っていることに因むという。春の七草のオギョウはこの草で若苗を食べる」とあります。しかし、ホオコグサの名づけのわけは分かりましたが、オギョウの謂れの説明がありません。深津正著『植物和名の語源』を読むと「『文徳実録』に嘉祥3年3月に文徳天皇の父君である仁明(にんみょう)天皇崩御され、5月には祖母君にあたる嵯峨太皇太后が続いて崩御され、お二人は母子である。ところでその年、餅草(母子草)が不作で餅が作れなかった。不作なのは、母子が亡くなられたことを(天が)悲しんだためといわれた。それでこの餅草のことを母子草というようになった、という記述がある」と指摘し、母子草の名づけのわけを説明しています。さらに「この餅草は、仁明帝母子の悲運を衆に知らしめたというので、この餅草は仁明天皇母子の御像(みすがた)つまり御形(みかたち)を具現したものであると考えられた。それで後世の人が帝母子の御形を具現した草という意味で、この草を御形(おぎょう)と称えるようになったもの、と(文徳実録が)述べている」とあります。これでハハコグサ、オギョウの名づけの由来がお分かりになったと思います。春の七草ハハコグサのことをなぜオギョウというのか、今、分かりましたね。

(↑上の写真)左=ホトケノザ(仏の座)、中=キュウリグサ(胡瓜草)、右=ウラジロチチコグサ(裏白父子草)

 キュウリグサ(胡瓜草)はムラサキ科キュウリグサ属。『APG牧野植物図鑑』によると「アジアの温帯から暖帯に分布し、日本各地の道ばたに生える越年草」とあります。下部の葉(特に根生葉)には長い葉柄があるので似ているハナイバナと区別が付けられます。山田隆彦著『草花・雑草図鑑』には「葉を揉むとかすかにキュウリの香りがすることからこの名がついた。端がサソリの尾のように巻いている花序が、花が開いていくにつれてだんだんまっすぐになって伸びていく。これをサソリ形花序(巻散花序)といい、ムラサキ科の特徴」とあります。

 

(↑上の写真)左=キツネアザミ(狐薊)、中=ハルジオン(春紫苑)、右=アメリカフウロ(亜米利加風露)

 キツネアザミ(狐薊)はキク科キツネアザミ属。APG牧野植物図鑑スタンダード版によるとオーストラリアや東南アジアに広く分布し、日本では本州、四国、九州の道端や田畑に普通に生える越年草。葉は柔らかく、刺は無い。花は春から初夏。和名は、アザミに似ているがよく見るとアザミではなく、狐に騙されたような気分になるという意味、という(一部翻案)。冨成忠夫著 野草ハンドブック1『春の花』には「キツネという響きにはなんとなくうさんくさい感がある……花の色があまり冴えない点からも、キツネの名をつけた人の気持ちがうなずける」と述べています。しかし、背の低い草の生えた野原の端で、この花が首筋を伸ばして楚々と咲いている姿は、和服姿のうなじの延びた女性の後姿を彷彿とさせます。それが、キツネの化けた女性かなと想像すると、この花に近寄りがたい妖艶さを感ぜざるを得ませんが、どうでしょうか。

(↑上の写真)左=ナガミヒナゲシ(長実雛芥子、長実雛罌粟)、中=シロバナスミレ(白花菫)、右=ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)

 ナガミヒナゲシ(長実雛芥子、長実雛罌粟)はケシ科ケシ葉。雛罌粟はコクリコと読みフランス語でヒナゲシのことだそうです。ナガミヒナゲシはヨーロッパ地中海沿岸原産の1年草で、秋に発芽し、ロゼット状態で越冬し、春先に急に大きくなり花を咲かせます。花期は4月から6月。昭和36年(1961年)世田谷で初めて帰化が報告され、それ以来、急速に分布を拡大しています。花後細長い円筒状の果実を作るので、その様子からケシの実のように丸っこくなく、長いので「長実」、花はケシより小さいので「雛ケシ」というわけでナガミノヒナゲシと名づけられたそうです。1つの果実に約1500粒の種子を作り、一株に多数の果実をつけるので、爆発的に個体数を増やしています。自然観察していても年々分布が拡大していることが実感できます。皆さんの家の周りではどうですか?昭和36年世田谷で見つかった子孫というわけです。(日本日本帰化植物写真図鑑、Web「川越市」、H21年4月19日付朝日新聞朝刊などを参照、引用翻案しました。)

(↑上の写真)左=ノミノツヅリ(蚤の綴り)、中=ペラペラヨメナ(ペラペラ嫁菜)、右=ノゲシ(野芥子・野罌粟)

 ノミノツヅリ(蚤の綴り)はナデシコ科ノミノツヅリ属。『APG牧野植物図鑑』によると「アジア・ヨーロッパの温帯から亜熱帯に広く分布。日本各地の道ばたや荒地、田、草原などに普通に生える越年草」とあります。よく見ると各節ごとに対生の葉腋から分枝し、先に向かって倍、倍に広がり、小さい草に関わらず、大きく勢力範囲を広げる、なかなか頼もしい草です。花は拡大してみると可愛らしい5弁花で白い花弁の間に萼が緑をのぞかせています。因みにノミノツヅリは小さい蚤に着せる粗末な着物ということのようです。

(↑上の写真)いずれもカタバミ(片喰)、左=茶色葉、中=緑葉、右=中間

 カタバミ(片喰、牧野富太郎傍食を用いている)は、カタバミ科カタバミ属。世界の暖帯から熱帯に広く分布し、日本各地の道端に生える多年草といわれます。多田多恵子著『したたかな植物たち』によると「葉が緑のものをカタバミ、葉が赤みがかるものをアカカタバミ、中間色のものをウスアカカタバミと呼び分けることもあるが、同じ種類の中での個体差である。花は朝開き、午後には閉じるが、午前中に活動するハチに合わせて花を開き、ハチが活動しない時や雨の日は花を閉じて花粉の流出を防いでいる。3つの小葉を合わせた葉元に水分量で葉の開閉をする組織があり、葉も夜には閉じて、夜間に放射冷却で葉の温度が下がるのを防ぎ、また、日中でも光が強く葉の温度が上昇しすぎる時には、葉を閉じて温度を下げるようにしている」ということです。足元の何気ない植物ですが、なかなか賢い生活をしています。赤い葉と緑の葉のカタバミは別種と思われがちですが、多田多恵子氏のこの説明によると同種で色の違いは個体差ということです。中間の色のものも同種とうことで分ける意味はないということです。(興味深いので昨年掲載したものを再掲しました。)

(↑上の写真)左=タチカタバミ(立片喰)、中=ツタバウンラン(蔦葉鄆闌)、右=マツバウンラン(松葉鄆闌)

(↑上の写真)左=イモカタバミ(芋片喰)、中=シロバナイモカタバミ(白花芋片喰)、右=ユウゲショウ(夕化粧)

 モカタバミ(芋片喰)は、カタバミ科カタバミ属。南アメリカの比較的標高の高い地域が原産。日本へは、第二次世界大戦後に観賞用として導入されて以降、昭和42年に帰化の報告があって後、国内に広く帰化しています。ムラサキカタバミに似ていますが、区別点は、花弁の中心部が赤く彩られているところです。また、根がムラサキカタバミでは鱗茎といわれる小さなつぶつぶの集まりになっていますが、イモカタバミの根は塊茎といわれる大きな塊になっていています。それがイモのようなのでイモカタバミといわれるわけです。根がイモ状態なので、丈夫で繁殖しやすいわけです。

(↑上の写真)左=イヌガラシ(犬芥子)、中=カモジグサ(髢草)、右=コバンソウ小判草

(↑上の写真)左=シャガ(射干)、中=イチハツ(一初、一八、鳶尾草)、右=シラン(紫蘭

(↑上の写真)左=タチジャコウソウ(立麝香草)(タイム)、中=ツリガネズイセン(釣鐘水仙、スパニッシュ・ブルーベル)、右=オオアマナ(大甘菜

(↑上の写真)左=コヒルガオ(小昼顔)、中=セリバヒエンソウ(芹葉飛燕草)、右=ミヤコワスレ(都忘れ)

(↑上の写真)左=ヒルザキツキミソウ(昼咲月見草)、中=ネモフィラ、右=カキネガラシ(垣根芥子)

(↑上の写真)左=アジュガ(西洋十二単)、中=ドイツスズラン(独逸鈴蘭)、右=ヘビイチゴ(蛇苺)

(↑上の写真)左=整然とした住宅街、中=ヤマブキ(山吹)、右=シロバナヤマブキ(白花山吹)

(↑上の写真)左と中=サツキ(皐月)、右=ドウダンツツジ灯台躑躅

 ドウダンツツジ灯台躑躅、満天星)はツツジドウダンツツジ属。Web「恵泉女学園大学」によると「本州の静岡、愛知、岐阜、紀伊半島、四国の高知、徳島、九州の山地に局所的に自生している」とのこと、今では至る所で生垣として植栽されている落葉低木です。名称についてはツツジ科なのでツツジは分かりますが「ドウダン」の由来は結灯台にもとづくとのこと。深津正著『植物和名の語源』によると「ドウダンツツジの由来は『俚言集覧』にドウダンツツジの異称として「どうだいつつじ」の名があげられている。『大言海』によれば「どうだい」は「とうだい」すなわち灯台のことで「とうだいつつじ」つまり3本枝を交叉して結び合わせ、上端の三叉状の台架状の上に灯明皿を置いた灯台器のこと。ドウダンツツジの枝はよく分枝し、しかもその先端がこの結灯台(むすびとうだい)の台架のように三叉状になっているから、このように言われたものらしい」とあります。「結灯台の台架のように三叉状になっている」とは頭を傾げたくなります。花が終わって芽を伸ばし始めるところを観察してみると、灯台を逆さにした脚の部分が芽を伸ばした枝の恰好です。花が終わった後、観察してみてください。どうでしょうか。ただし、どうやらドウダンツツジの異称の解説になってしまって、肝心のドウダンの由来は解説されてませんでしたね。なお、満天星は漢名で中国の伝説に基づいたものということです。

(↑上の写真)いずれもハナミズキ(花水木)、左=白花、中=紅花、右=紅白のハナミズキ

(↑上の写真)左=レッドロビン、中=クロガネモチ(黒鉄黐)、右=トキワマンサク(常盤満作、万作)

 Web「オザキフラワーパーク」によると・・レッドロビンは、「ベニカナメ」「カナメモチ」などと呼ばれますが、厳密にはそれぞれは異なります。「ベニカナメ」は「カナメモチ」の変種で、「カナメモチ」のうち特に新芽の紅が強いものを「ベニカナメ」として区別している場合があります。「レッドロビン」は、洋種「西洋カナメモチ」の事で、「カナメモチ」と「オオカナメモチ」の交配種になります。園芸店で流通しているのは、ほとんどは「レッドロビン」です。「レッドロビン」の方が葉の赤みが強いですが、ぱっと見には区別はつきにくいです・・ということです。街中には生垣としてあちこちで見かけますが、どれが「ベニカナメモチ」か「カナメモチ」か区別できないです。どれも綺麗に赤く染まっているので、それで良いでしょう。この赤色は初夏には緑色に変わってしまう、ということです。今見られる赤色を愛でたいです。因みにレッドロビンはバラ科カナメモチ属。

(↑上の写真)左=カラタネオガタマ(唐種招霊)、中=サトザクラ(里桜)、右=西洋シャクナゲ(西洋石楠花)

 カラタネオガタマ(唐種子招霊)はモクレンモクレン属。中国南部原産、樹高4mくらいの常緑樹。花にはバナナのような甘い強い芳香があり、遠くからも感じ取れます。東京都薬草園にもあますが、上掲写真は地元の植木販売農家の畑にたくさん植えられているものを撮ったものです。日本にはもともとオガタマノキがあり、カラタネオガタマは、江戸時代中期から明治初めにかけて中国から移植されたものといわれます。天鈿女命がオガタマノキの枝を手にして天岩戸の前で舞ったとされるのは日本在来のオガタマノキカラタネオガタマではないということがわかります。今ではカラタネオガタマが神社などに植栽されることが多いようです。因みにオガタマノキモクレンモクレン属。(植木ペディア、ウィキペディアなど各種Web参照)

(↑上の写真)左=タムケヤマ(手向山)(カエデ)、中=ノムラカエデ(野村楓)、右=キンヒバ(金桧葉)

都立野川公園自然観察園・・・令和6年4月12日

 小雨の中でしたが、陽気に誘われて野川公園自然観察園へ。山野草が今を盛りに満開です。オドリコソウ、キクザキイチゲ、ムベ、アケビも見頃です。この時季でしか見られない花がたくさんあります。この数日がお奨めです。今日の様子です。

(↑上の写真)左=自然観察園入口、中=ムベ(郁子、野木瓜)、右=アケビ(木通)

 ムベ(郁子)はアケビ科ムベ属。APG牧野植物図鑑には「関東地方から琉球列島、および朝鮮半島南部の暖帯から亜熱帯に分布。山地に生える常緑つる性低木」とあります。ムベという名前の由来については「琵琶湖のほとりに狩りに出かけた天智天皇がこの地で長命な老夫婦に出会い『どうしてそう長く健康でいられるのか』と尋ねたところ、老夫婦はこの地で取れる無病長寿の霊果のお陰です、と答えた。賞味された天皇は『むべなるかな(いかにももっともなことであるなあ)』と得心して、『この霊果を例年献上せよ』と命じられたので、この果物をムベと呼ぶようになった」という説があります。面白い話で覚えておきたいですね。朝井まかて著『類』に「四ツ目垣に絡ませた郁子(ムベ)がちょうど花の時季で片栗の花のように切れ込みが深い花弁を開く。外側は白く内側は薄い紫を帯び秋に生る実の皮と同じ色であることに類は気づいている。実は木通(あけび)にそっくりだけれども裂けはせず、猿のように上手く食べるのはなかなか難しいのだと、お祖母(おばば)様が女中に話すのを聞いたことがある。むべなるかなむべなるかな、祖母はそんな言葉を口にしながら女中らを指図して、この実をよく落としていたのだ」という記述があります。祖母はムベという名前が天智天皇に由来していることをきっと知っていたのでしょう。

(↑上の写真)左と中=ニリンソウ二輪草)、右=在来のイヌノフグリ(小さな花と実が見えます)

(↑上の写真)左と中=オドリコソウ(踊子草)、右=メオドリコソウ(姫踊子草)

 ヒメオドリコソウ(姫踊子草)より先にホトケノザ(仏の座)が盛んに咲いて、今もまだ少しですが咲き続けています。此の頃になってようやく同じような花をつける姫踊子草が咲き始めます。花は似ていますが葉の形は全く違います。ホトケノザ坐禅の時に使う丸い座蒲(ざふ=丸いクッションに似ている)のような丸い感じの葉をしています。ヒメオドリコソウは葉の形が上掲写真のように三角形のような形をしています。オドリコソウ(踊子草)が上掲左と中の写真のように堂々とした大きな花を咲かせているのに対してヒメオドリコソウ(姫踊子草)は、しおらしく葉に隠れて外を窺うようにそっと顔を出して咲いているという風情ですね。因みに姫踊子草はシソ科オドリコソウ属、従って茎は四角形。ヨーロッパ、小アジア原産で東アジア、北アメリカに帰化し、日本でも都会の道端などにも帰化している越年草ということです。

(↑上の写真)左と中=イチリンソウ(一輪草)、右=ホタルカズラ(蛍蔓)

 ホタルカズラ(蛍蔓)はムラサキ科ムラサキ属。『APG牧野植物図鑑』によると「北海道から九州および朝鮮半島、台湾、中国に分布し、山野の乾燥地や林中の半日陰の草地に生える多年草。和名蛍蔓は叢の中に咲く目立った(紫の濃い蛍光色の)花を蛍の光に例えた」ということです。しかも葉や茎は冬季も枯れず地上に残るのでグランドカバーにもってこいです。しかし、自然観察の中ではなかなか出会いませんね。

(↑上の写真)左=キジムシロ(雉蓆)、中=オオジシバリ(大地縛り)、右=カントウタンポポ(関東蒲公英)

 キジムシロ(雉蓆)はバラ科キジムシロ属。日本全土の山野に生える多年草ということです。この時季、黄色の花が多く、区別がなかなか難しいです。キジムシロは、根から左右に広がっている葉が奇数羽状複葉(先端が一枚でその他の小葉5~6枚は葉軸の左右についている)であることで区別がつきます。最初に出る葉は、羽状複葉にならず、先端に三枚の小葉がついているだけなので、この葉のみで区別するのは至難です。この奇数羽状複葉の葉が円の内周を形作り、その外側に花茎を伸ばし花をたくさん付けます。まるで外側を黄色い花で飾った丸い座布団のようです(上掲写真)。そこに雉が座ったら絵になりますね。その様子に擬えてキジムシロ(雉蓆)と名づけられということです。

(↑上の写真)左=ジュウニヒトエ十二単)、中と右=ラショウモンカズラ(羅生門蔓)

 ラショウモンカズラ羅生門蔓)はシソ科ラショウモンカズラ属。花と同時に根もとから蔓(走出枝)をだすのでカズラといわれますが、ラショウモンは『平家物語』剣巻の話から名付けられたと言われます。「源頼光に仕えた渡辺綱が夜中に戻橋を通りかかると、美しい女性が、『夜も更けて恐ろしいので家まで送ってほしい』と頼むので、綱はこんな夜中に女性が一人でいるとは怪しいとは思いながらも、頼みを引き受け、馬に乗せました。すると女性はたちまち羅生門に住みつき悪行を繰り返していた鬼女に姿を変え、綱の髪をつかんで愛宕山の方向へ綱を連れて飛んで行きました。綱は、すぐさま髪を掴んでいる鬼女の腕を太刀で切り落とし、逃れることができました。その後、腕は渡辺綱の屋敷に置かれていましたが、ある日、鬼女が綱の義母に化けて現れ、綱はすっかり騙されて腕を取り戻されてしまいました」ということです。この渡辺綱が切り落とした鬼女の腕の形がこの花の形に似ているというのでラショウモンカズラと名付けられたといわれます。そう思ってみると鬼女の腕のように見えてきます。(いろいろ説話はあるようです。現代語訳を一部翻案)因みに本種は本州、四国、九州および朝鮮半島中国東北部に分布し、山の木陰などに生える多年草。茎はシソ科の特徴で四角く、高さ15~20cm。花後に基部から走出枝が出て株を増やします。(APG牧野植物図鑑、各種Web参照)

(↑上の写真)左=ヤマブキソウ(山吹草)、中と右=キランソウ(金襴草)

 キランソウ(金襴草)はシソ科キランソウ属。別名は地獄の釜の蓋。「昔、土葬して土をもった土饅頭によくキランソウが生え、その様子が、死者が蘇らないように土饅頭を抑えているように見えるというので地獄の釜の蓋と言われるようになった」という説があります。春のお彼岸の頃、墓参りに行くとこの草が生えているので印象深いです。日当たりのよい乾燥気味のところがお気に入りのようです。Web「季節の花300」によるとキランソウの「キ」は紫の古語で「らん」は、藍色の意味で、花の色から名づけられたということで、「金襴」と書くのは当て字か、草むらに咲きひろがる様子が、金襴の織物の切れはし=裂地(きれじ)のように見えるところから、という説もあります。

(↑上の写真)左と中=ゲンゲ(紫雲英)(レンゲ=蓮華)、右=サクラソウ(桜草)

 ゲンゲマメ科ゲンゲ属。『APG牧野植物図鑑』によると「根に根粒バクテリアが共生し、空中の窒素を固定して蓄えるので緑肥として水田に植えられた」とあります。ちょうど具合よく秋に芽生えて冬を越し、春、花が咲いた時に田起こしが始まり、すき込まれて肥料となったということです。自然農法の原型ですね。『アタリヤ農園HP』によると「ゲンゲは、東アジアから中国が原産で、わが国へは17世紀ごろに渡来し、明治以後になって急速に広まりました。「げんげ(紫雲英)」というのが標準和名ですが、ふつうには「れんげ(蓮華)」、「れんげそう(蓮華草)」と呼ばれています」とあります。標準和名とは多く使用されている名前のことで、今では「レンゲ(蓮華)」の方が普通になっていますから、そのうち変更されるかもしれません。間もなく新一万円札が発行されます。それには渋沢栄一の顔が刷られます。城山三郎著『雄気堂々』に「明治15年5月、(渋沢)栄一は第一国立銀行の支店視察のため、東北への旅に出た。折から東北は遅い春がたけなわであった。白い藤の花、淡紅色のれんげ、菜の花畠の黄と、花に花が重なり合う。よく雨が降ったが、雨の後は、川には清らかな水がほとばしり、地からは陽炎が燃え立つ。山や野の緑は濃くあざやかで、東京暮らしに疲れた栄一の目を慰めた」という記述があります。多分著者の城山三郎は当時ゲンゲと呼ばれていたことを知らずに今流のレンゲと書いてしまったのではないでしょうか。同時代を生きた田山花袋は著書『田舎教師』の中に「林清三は弥勒に帰る。父は骨董屋に用事があって同道する。町はずれで加須にゆく街道と館林に行く街道と二つに分かれる。それから向こうは広々した野が広がっている。まだ鍬を入れぬ田にはげんげが赤い毛氈をしいたように綺麗に咲いていた。商家の若旦那らしい男が平坦な街道に滑らかに自転車を走らせて来た(一部翻案)」とゲンゲいう記述があります。時代考証のちょっとした妙味ですね。

(↑上の写真)左と中=チョウジソウ(丁字草)、右=シロバナサギゴケ(白花鷺苔)

 身近にありそうでなかなか見つからないのがシロバナサギゴケ(白花鷺苔)です。シロバナサギゴケの花は、サギソウの現代的な取り澄ました花とは違い、飛鳥朝風の花といった感じです。大きくてぽってりした感じの花です。周囲に丈の高い草の無いような庭の足許に育てるのに適しています。仲間にトキワハゼ、ヒメサギゴケなどがあります。それらは、感じは似てますが、花が一回り小さいです。因みに、シロバナサギゴケ(白花鷺苔)はサギゴケサギゴケ属。北海道南部から九州までの田の畔や道端などに生える多年草ということです。東アジア、オーストラリアが原産地のようですが、今では世界中に分布が広がっているようです。匍匐枝(ランナー)で株を増やすので根付くとすぐに増えます。グランドカバーに最適です。(各種図鑑、Webを参考にしています。)

(↑上の写真)左=ニガイチゴ(苦苺)、中=クサイチゴ(草苺)、右=サルトリイバラ(猿捕り茨)

 クサイチゴ(草苺)は、本当は木ですが、草のように見えるというので草苺と名づけられたとのことです。この花をよく見ると(上掲写真)、普通の花のような雌しべがなく、中心付近に大きな円形のドーム状のものがありますね。膨れ上がっているようです。この中心の丸いドーム状の上に毛がたくさん見えます。これが雌しべでドームに接している部分が子房にあたります。ドームの周囲には雄しべの花糸が糸を伸ばして周囲を囲んでいます。雌しべと雄しべが円形に模様を作っていますね。このドーム状の上にある雌しべと周囲を取り囲んでいる雄しべが受粉して種子ができます。ドームに当たる部分は普通の花では花托と言われる部分で、これが成長してドーム状になり、苺の実の形になります。種子はドームの表面についていて、風船が膨らんでその表面に種子ができ、風船の中身(=ドームの中身=苺の実)は花托が変化して膨れたものというわけです。この花が間もなく、苺になるのかと思うと不思議ですね。花が終わると実になっていきますからこれからも観察を続けたいですね。因みに、クサイチゴ(草苺)はバラ科キイチゴ属。本州、四国、九州、朝鮮半島、中国に分布し山地の林縁などに生える低木。(各種図鑑Webを参照しました。)

(↑上の写真)左=サンショウ(山椒)、中=クサノオウ(瘡の王・草の黄)、右=園内中央の象徴木のアカメヤナギ(赤芽柳)

JR国立駅前大学通りの桜並木・・・令和6年4月7日

 ようやく桜が満開になり、初夏の陽気に誘われ、今季の桜の見納めになるかな?という思いで出掛けました。(一橋大学の)大学通りは両側とも桜が満開、散り始めた桜木はまだ数本という感じで、花見を満喫することが出来ました。古木はソメイヨシノですが新しく植えられたものも大きくなり、混在して種類の違いを楽しませてくれています。根締めにはきれいな草花が植えられ、そのコントラストは見事でした。今日の様子です。

(↑上の写真)左=国立駅南口の様子、中=南口から大学通り方面の眺め、右=満開の桜

(↑上の写真)いずれもソメイヨシノ、左=大学の校舎を背景にしたもの

(↑上の写真)いずれも歩道橋上からの景観、左の写真の奥が国立駅舎の見える中の写真、右=路上に覆いかぶさるような桜

(↑上の写真)左=舞姫と名づけられた桜、中=神代曙・・多分神代植物公園にある神代曙の子孫? 右=大学構内の桜

(↑上の写真)左=ヤマブキ(山吹)、中=ヒボケ(緋木瓜)、右=サラサボケ(更紗木瓜

(↑上の写真)左と中=サツキ(皐月)、右=レンギョウ(連翹)

(↑上の写真)左=見事な満開桜、中=アブラナ(油菜)、右=アブラナと桜

(↑上の写真)左=シラユキゲシ(白雪罌粟)、中=シャガ(射干)、右=ツルニチニチソウ(蔓日々草

(↑上の写真)左=ニリンソウ二輪草)、中=カラスノエンドウ(鴉豌豆)、右=カントウタンポポ(関東蒲公英)
 

千鳥ヶ淵桜並木・・・令和6年4月1日

 千鳥ヶ淵桜並木のサクラを観に行きました。この三日暖かな日が続きました。かなり咲いているかな、と思いましたが、実際は、まだほとんど堅い蕾でした。靖国神社の標本木は満開、息巻いているといった感じです。今日の様子です。(経路は、地下鉄半蔵門駅下車徒歩→九段下:この経路は、太陽が顔に当たらず、背に受けて歩ける北に向かって歩くコースです)

(↑上の写真)いずれも靖国神社にて、左と中=標本木、右=境内の桜

(↑上の写真)左と中=桜並木の始まり、桜並木の中のそれでも咲いている方のサクラ

(↑上の写真)左=ボートが浮かぶ濠の様子(桜はまだ堅い蕾)、中=中でも咲いている方のサクラ、右=そのサクラのアップ

(↑上の写真)左=戦没者墓苑入口、中=戦没者の墓、右=さざれ石

(↑上の写真)いずれも墓苑の中で見られた花、左=アセビ(馬酔木)、中=トキワマンサク(常盤満作)、右=ヒュウガミズキ(日向瑞樹)

高尾梅郷遊歩道・・・令和6年3月30日

 初夏のような陽気に誘われて、ジロボウエンゴサクニリンソウが満開の高尾梅郷遊歩道を自然観察して歩きました。JR高尾駅から徒歩15分、遊歩道出発点の上椚田橋に出て、遊歩道を高速道路の下「高尾梅の郷まちの広場」まで歩きました。そこで昼食を摂り、来た道を高尾駅まで戻りました。

(↑上の写真)左=上椚田橋の遊歩道の入口の表示、中=梅の時期が終わっている様子、右=昼食場所の「高尾梅の郷まちの広場」

(↑上の写真)いずれもジロボウエンゴサク(次郎坊延胡索)

 ジロボウエンゴサク(次郎坊延胡索)はケシ科キケマン属。関東地方以西、四国、九州および台湾、中国の暖帯の原野や山麓に生える多年草。名前の由来は、伊勢地方でスミレのことを太郎坊、ジロボウエンゴサクのことを次郎坊と呼んでいたことが小野嵐山の著書(1802)に紹介されたのが始まりといわれます。幸田露伴著「太郎坊」では、菫の描かれている大きい猪口を太郎坊、小さい猪口を次郎坊と呼んで、秘めた楽しみを味わったことが書かれています。延胡索とは漢名でキケマン属の総称名とのことで、キケマン属の塊茎のことを漢方では延胡索といい、痛み止めなどに用いられるとのことです。(各種Web情報を参考)

(↑上の写真)いずれもニリンソウ二輪草

 ニリンソウ二輪草)はキンポウゲ科イチリンソウ属。日本各地と中国からロシアの極東に分布し、落葉広葉樹林の林縁や林床に生え、しばしば群生する多年草。日本では全国の林床地に早春のみ可憐な姿を見せる春の妖精(スプリング・エフェメラル)と言われる草花を代表する野草です。花びらは無く、花びらのように見えるのは、萼片で通常5枚。花柄(=花茎のようなもの)のもとに無柄の葉のように見える総苞葉が3枚茎を取り巻いています。そこから花柄を通常2本伸ばし、花をつけます。2本めの花は少し遅れて咲きますが、1本めの花に寄り添うようにみえるので、川中美幸が「二輪草」という歌でその様子を歌っています。もう少しすると2本咲いている二輪草が見られると思います。(各種Web、図鑑参照)

(↑上の写真)左と中=ヨゴレネコノメ(汚れ猫の目)、右=ユリワサビ

 ヨゴレネコノメ(汚れ猫の目)はユキノシタ科ネコノメソウ属。沢沿いや斜面のやゝ暗い湿ったところに群生。暗い中にあって驚くほど明るい黄色の苞葉に惹きつけられます。その外側の個性的な色をした厚ぼったい葉との対比がすばらしいです。ヨゴレとついているのはこの汚れている?感じの葉のことを言ったという説があります。ネコノメ(猫の目)というのは、蒴果(さくか=種子の入った袋)の閉じ口(縫線)のある蒴果のようすが猫の目のようだから、というのがもっとも一般的な説です。吉野光子共著「花のハイキング」高尾・陣馬篇には、「ネコノメの名は熟した実が割れた様子が猫の目に似ていることから」とあります。花が終わると蒴果ができますので確認できます。

(↑上の写真)左=アマナ(甘菜)、中=キバナノアマナ(黄花甘菜)、右=ミヤマカタバミ(深山片喰)

 ミヤマカタバミ(深山片喰)はカタバミ科カタバミ属。『牧野新日本植物図鑑』によると「山地の木の下に生える多年生草本。春に葉の間から花柄を出す。花弁は5個、萼片も5個。雄しべは長短10本、雌しべは1本。子房には花柱が5本ある。花が終わった後閉鎖花を出し、よく結実する」とあります。雄しべ雌しべのつくりは芸術的です。閉鎖花ともどもじっくり観察したいです。ところで世界的な分布は不明のようですが、Web『弘前大学白神山地植物情報検索』によると「本州東北地方南部から中国地方、中国、ヒマラヤに分布」とあります。

(↑上の写真)左=ナガバノスミレサイシン(長葉菫細辛)、中=マキノスミレ(牧野菫)、右=セントウソウ(仙洞草)

 セントウソウ(仙洞草)はセリ科セントウソウ属。セントウソウ属にはこの草一種ということで一属一種の世界的には珍しい植物で、日本固有種ということです。日本国中どこにでも分布していて、山野の林縁などによく生えている多年草。春の先頭を切って咲くので先頭草か、先陣を争って咲くので戦闘草と思っていましたが、仙洞草でした。上皇がお住いの御所を仙洞=世を超絶された仙人が住まわれる所という意味合いで仙洞御所と呼ばれますが、その御所に生えていた草と言うことでしょう。

(↑上の写真)左=ナツトウダイ(夏燈台)、中=ミミガタテンナンショウ(耳型天南星)、右=カンスゲ(寒菅) 

 カンスゲ(寒菅)はカヤツリグサ科スゲ属。日本原産の常緑多年草で各地の樹陰や山地の水辺に多く見られる強壮な多年草。冬でも艶のある堅い葉を多数根生させ、常緑で表面はやゝ光沢があって硬く、縁はざらついている。春に葉の間から多くの花茎をたてて先端に1個の雄小穂、その下に雌小穂を数個つける。スゲは清浄の意味でカンスゲ(寒菅)は冬の清浄を表している、とのこと。(各種Web参照)

(↑上の写真)左=コブシ(辛夷)、中=アブラチャン(油瀝青)、右=サンシュユ(山茱萸=咲き終わり)

 アブラチャン(油瀝青)はクスノキ科クロモジ属。本州から九州の山地でやや湿ったところに生える落葉低木。3~4月、葉に先立って淡黄色の小さな花を散形状に付ける。雌雄異株。果実は直径約1,5cmの球形。アブラチャンのチャンは瀝青(れきせい=コールタール、ピッチ)のこと。昔、果実や樹皮の油を灯用にしたことによる。果実や樹皮に油が多く、良く燃えるから油と瀝青(チャン)をあわせた名という。(各種図鑑及びWeb参照)

(↑上の写真)左=ヒサカキ(姫榊)、中と右=ツルマサキ(蔓柾)

 ヒサカキ(姫榊)はモッコク科ヒサカキ属。『牧野新日本植物図鑑』によると「やや乾いた山地に多く生える常緑低木または亜高木。花は、春の初めに葉腋に1~3個の柄のある白い花が束になって付き下向きに開く」とあります(上掲写真)。関西の神社で紙垂をつけて玉串として使われていますが、関東には榊(サカキ)がないので代わりに榊の小型のようなので姫榊(このように書いてヒメサカキ→ヒサカキとなった)を榊の代わりに使うようになったということです。榊に非ずということで非榊と書いていましたが、牧野富太郎博士の「日本名ヒサカキは姫サカキの訛りでサカキに比べて小型であることを示す」に倣いました。

(↑上の写真)いずれも八王子市立駒木野庭園、左=入口、右=日本庭園、右=石垣のユキヤナギ(雪柳)

(↑上の写真)左=小仏関所跡石碑、中=遊歩道のうち特に保護された場所、右=杉林の中を通る遊歩道

都立府中の森公園・・・令和6年3月27日

 府中市浅間町にある都立府中の森公園には最近訪れていなかったのですが、美術館もあるので久しぶりに出掛けてみました。天気は晴れ上がりましたが、春の陽気には程遠く、冷たい北風が吹いていました。今日の様子です。

(↑上の写真)左=公園北端正門の傍の府中市美術館、中=花のプロムナード展望広場の噴水、右=公園南端にある府中市立芸術劇場

(↑上の写真)すくめていた茎を伸ばし始めた左=ヒメオドリコソウ(姫踊子草)、中=カラスノエンドウ(鴉豌豆)、右=オランダミミナグサ(阿蘭陀耳菜草)

(↑上の写真)左=ナズナ(薺)、中=タネツケバナ(種漬花)、右=ヒマラヤユキノシタ

(↑上の写真)左=いずれもヒヤシンス 

 ヒヤシンスは、キジカクシ科ヒヤシンス属。地中海東部沿岸、中近東を原産地とする球根性多年草。花は早春、3枚の花弁と3枚の花弁に変化した萼片からなる合弁花。雌しべ1本、雄しべ6本が花の奥の花底あるが、人目には見にくい。ギリッシャ神話に「アポロンの同性愛者だったヒュアキントスが大量の血を流して死んだ時に、その流れた血から生まれたのがヒヤシンス」とあります。ヒュアキントスが→ヒヤシンスに変化したともとれる感じです。学名はHyacinthus orientalisですが、そのことが想像されます。orientalisは「東方の、中近東の」ということで原産地を示しています。(各種Web参照翻案)

(↑上の写真)左=ヒヤシンス、中=スズランスイセン(鈴蘭水仙)=スノーフレーク、右=サルビア・ミクロフィラ(チェリーセージ

(↑上の写真)左=レンギョウ(連翹)、中=ジンチョウゲ沈丁花)、右=ジャノメエリカ(蛇の目エリカ)

(↑上の写真)左=ローズマリー、中=アセビ(馬酔木)、右=ユキヤナギ(雪柳)

日野市神明上第3緑地・・・令和6年3月25日

 日野市神明上第3緑地は日野駅から日野市役所通りを日野市役所に向かって上り始めた右側の小さな入口に手作りの案内が出ています。日野駅から徒歩5分。崖線の小さな緑地が地元の「谷仲山緑地を守る会」の皆さんによって大事に保護されています。このところの低温とぐずついた空模様のため、カタクリの開花は足踏みしているようです。まだつぼみのものが多く、きれいに開花しているものは見当たりません。この先は天気が好転し、気温も上昇するとの予報ですから期待したいと思います。今日の神明上第3緑地の様子です。

(↑上の写真)左=第3緑地の入口に設置されている案内板、中=入口の印となっている記念樹の松、右=大正天皇行幸された折、馬をこの松に留められたといわれる「駒留の松」の記念碑

(↑上の写真)いずれもカタクリが生えている第3緑地の様子

(↑上の写真)いずれもつぼみのカタクリの様子

(↑上の写真)いずれも、それでも多少は開きかけたカタクリの様子

(↑上の写真)左=アオイスミレ、中と右=JR日野駅