多摩地区も奥へ向かい高尾遊歩道梅林などはまだ梅も三分咲きといったところ。奥のするさし梅林では、綻びているのは一・二輪といったところです。3月13日・14日が梅まつり(今年は中止)の予定だったということで少し早すぎました。予定日だった前後にはもっと咲いてくれていると思います。関所梅林ではサンシュユの大木が満開で歓迎してくれました。今日の様子です。
(↑上の写真)小仏川沿いの遊歩道梅林にて
ウメ(梅)はバラ科アンズ属。梅は「歳寒の三友(松竹梅)」の一つに挙げられています。寒さの厳しい季節=歳寒のなかで楚々と咲いている一輪の梅に独立した意思を持った女性の姿が感じられます。
(↑上の写真)どれも関所梅林にて
(↑上の写真)どれも荒井梅林にて、中=箱は梅木を伐った後に置いたミツバチ用巣箱
(↑上の写真)左と中=天神梅林にて、右=湯の花梅林にて(花が少なく閉鎖中)
(↑上の写真)どれも、するさし梅林にて
(↑上の写真)どれも関所梅林のサンシュユ
サンシュユ(山茱萸)はミズキ科サンシュユ属。中国・朝鮮半島原産。江戸時代享保年間(1720年頃)に薬用植物として渡来し、小石川の薬用植物園に最初に植えられたということです。早春に淡黄色の花を多数つけるので別名春黄金花(はるこがねばな)、また「茱萸」とはグミのことだそうで、秋にはグミのような赤い実をつけることからアキサンゴ(秋珊瑚)とも呼ばれるとのことです。宮崎県民謡「ひえつき節(稗搗節)」は「庭の山椒(さんしゅう)の木 鳴る鈴かけてヨーホイ 鈴の鳴る時ゃ 出ておじゃれヨー」は、宮崎県東臼杵郡椎葉村(しいばそん)地方で、稗を搗(つ)くときにうたわれた仕事歌。壇ノ浦の戦いで宮崎に落ちた平家の姫(鶴富姫)と平家を追って宮崎にやって来た源氏の侍(那須大八)の禁じられた人目を忍ぶ愛を歌ったものだそうです。歌詞のサンシュウは漢字では山椒(さんしょ)で、これを宮崎県地方の方言では「サンシュウ」と読むそうです。サンシュウの木に付けた鈴が鳴れば「今日は会える」というサイン。山椒(サンショウ)の木に鈴を掛けるのは南九州地方の昔からある風習で、神が山椒の木に乗移ると言われているそうです。山椒の木は日本には昔からあったのですが、山茱萸の木は享保年間に渡来したもので、稗搗節が謡われたころにはなかったわけです。
(↑上の写真)どれも小仏川畔の、左=イノデ、中=オオイタチシダ、右=クマワラビ
(↑上の写真)どれも小仏川畔の、左=イノモトソウ、中=オオバノイノモトソウ、右=ヤブソテツ