滝山城は、北条氏照が拡張し居城としたところで、多摩川と秋川の合流点と加住丘陵という地の利によって守られてきました。しかし、川沿いは敵に攻められやすいということもあり、奥の八王子に城を移し、八王子城としたということです。その頃は背後の山に護られる所と考えられていたようですが、後に甲州街道になる山道が北条氏攻略のために内密に通され、為に北条氏は滅亡してしまいました。江戸時代は参勤交代の要路として整備され、八王子には警備のため千人同心が置かれたと聞いています。初冬に、そのような歴史のある滝山城址に植物観察に行きました。
(↑上の写真)左=滝山城本丸址の碑、中=本丸があったといわれるところに建つ霞神社、右=由緒がありそうな中の丸に建つ、実は国民宿舎滝山荘の名残の建物
(↑上の写真)どれも中の丸で見られた紅葉、中=紅葉の中に引橋があり、そこを渡ると本丸に出る
(↑上の写真)左=ホシダ、中=フモトシダ、右=リョウメンシダ
(↑上の写真)左と中=イワガネゼンマイと葉裏の並行な葉脈、右=ゼンマイ (ゼンマイは発条のことです。その板は絡まず並行になっています。イワガネゼンマイでは葉脈が並行ということで使われているようです。ゼンマイはこの時季枯れていますが、若芽は発条のようですね。)
(↑上の写真)左と中=ベニシダと葉裏の胞子嚢(ソーラス)の様子、右=ヤブソテツ
(↑上の写真)左=中の丸から見た多摩川、中と右=園路付近の自然の様子