野楽力研究所

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武蔵村山市立野山北公園・・・令和2年3月17日

 今日は三寒四温の三寒の部分の寒さでした。今まで開花が進んでいた草花が昨日、今日は足踏みしているようです。ここ市立野山北公園の様子をお伝えします。カタクリの花は一分咲きといったところ。これからが見頃です。

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(↑上の写真)左・中=カタクリ、右=カタクリ群生の北に面した斜面

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(↑上の写真)左=ミズバショウ、中=エイザンスミレ、右=タチツボスミレ

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(↑上の写真)左=コブシ、中=アオキの実、右=アオキの雄花

 コブシ辛夷)は、モクレンモクレン属の落葉小高木~高木。(葉室麟著「辛夷の花」より)志桜里の家の中庭には辛夷が植えられている。婚家から戻った志桜里は、隣家の半五郎が「抜かずの半五郎」となるため、紐を隠して持参し、半五郎の刀の鍔と駒止とを紐で結んだ。「志桜里殿、これで、わたしは義のためのほかは、決してこの刀を抜きませんぞ」と言った。志桜里はにこりとして、半五郎が鞘を握った武骨な手に自分の白い手を添えた。半五郎と志桜里は顔を見合わせて笑った。辛夷の花が朝日に輝いている。(最終の場面です:一部翻案)

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(↑上の写真)左=ショカツサイ、中=モミジイチゴ、右=六地蔵

  ショカツサイ(諸葛采)はアブラナ科ショカツサイ属。ダイコンの花によく似ているので「花大根」。ダイコンの花は白だが、この花は紫色なので「ムラサキハナナ(紫花菜)」。また、アラセイトウ(=ストック)より大きいのでオオアラセイトウ。黄色い雄しべの葯を金色に見立てて「シキンソウ(紫金草)」などと別名がたくさんあります。吉川英治著「三国志」篇外余禄七に「彼(諸葛孔明)が軍を移動させるときは必ず兵舎の構築とともに、付近の空閑地に蕪(かぶ、蔓菁=まんせい=ともよぶ)の種を蒔かせたということだ。この蕪は、春夏秋冬、いつでも生育するし、土壌を選ばない特質もある。そしてその根から茎や葉まで生でも煮ても喰べられるという利便があるので兵の軍糧副食物としては絶好のものだったらしい。・・・今も蜀の江稜地方の民衆のあいだでは、この蕪のことを『諸葛采(しょかつさい)』とよんで愛食されているという」と、吉川英治の言葉が書かれています。(一部翻案)