野楽力研究所

近くの自然で野楽力を高めましょう

小金井公園・・・令和3年4月15日

 昨日の天候に打って変わってすっきり晴れ上がった青空の下、都立小金井公園の自然観察です。江戸東京たてもの園は休園中で中には入れませんでした。サトザクラと言われる八重桜がちょうど盛りを越えたところでした。足元にはカントウタンポポが花盛りです。今日の様子です。

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(↑上の写真八重桜)左=普賢象、中=関山、右=鬱金 

 八重桜バラ科サクラ属)はオオシマザクラを母種として生まれた日本原産の栽培品種のサトザクラ(=八重桜)群のサクラで写真のものはその仲間だそうです。夏目漱石著『こころ』に(主人公私は苦しんでいた論文をようやく書き上げた。)「私の自由になったのは、八重桜の散った枝にいつしか青い葉が霞のように伸び始めた初夏の季節であった。私は籠から抜け出した小鳥の心をもって、広い天地を一目に見渡しながら、自由に羽搏きをした。私はすぐ先生の家へ行った。・・・」(八重桜の青い葉が、隠されていた苞葉を破り「それ!」と伸び出した気持ちと論文を書き上げた私の解放感がぴったり合いましたね。八重桜と主人公私の気持ちとの一体感を感じました。)<一部翻案>

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(↑上の写真)左=ベニバナトキワマンサク、中と右=ボダイジュ

 ボダイジュ菩提樹)はアオイ科シナノキ属(以前はシナノキシナノキ属)。日本で見られる菩提樹は中国中部原産の落葉高木。花序の柄にはへら形の葉状の苞が1個あり、その先に8ミリ前後の球形の果実を7~8個つけます。このへら形の苞と果実の付き方が特徴的です。上の写真のように花の時季になっても、まだ昨年の果実がついていたりします。自然の樹形は、菩提樹らしくとてもきれいです。湯浅浩史文『花おりおり』によると「菩提樹には混乱が見られる。釈迦が悟りを開いたのはインドボダイジュの下。それは、クワ科の熱帯樹。一方、日本の寺院で見かける菩提樹は、中国原産でシナノキ科(→現在アオイ科)。葉がハート形で、先が尖る特色から代用とされたようだ。シューベルトの「冬の旅」の菩提樹は欧州産シナノキの類の雑種」ということです。神代植物公園大温室には、インドボダイジュが「仏教三大聖樹」の一つとして植えられています。

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(↑上の写真)左=フジ、中=ニワトコ、右=ヤマグワ

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(↑上の写真)左=ヘビイチゴ、中=カントウタンポポ、右=カタバミ

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(↑上の写真)左=ニリンソウ、中=カラスビシャク、右=キランソウ

 カラスビシャク(烏柄杓)はサトイモ科ハンゲ属。『APG牧野植物図鑑』によると日本各地の田畑に生える多年草。球茎から1~2枚の葉を出し、葉柄の途中にムカゴをつける。葉身は3小葉。初夏、花茎の先にミズバショウをほっそりさせたような苞に包まれた肉穂花序の花をつける。駆除の困難な雑草という。田中修著『花の顔』によると苞に包まれた肉穂花序の花穂は、下の方には雌花がぎっしりつき、間隔をあけて上部には雄花の花穂がついている。最初は雌花だけが開花し、そこに他の花の花粉をつけた1mmほどのハエが訪れ、他家受粉するが、し終わり、柱頭が枯れるまで逃げ場がないようにして囲う。受粉が完了すると苞の下部にハエの逃げ孔を開き、解放する。その時、上部の雄花が開花し、ハエを招き、花粉まみれにして、他の花の他家受粉を援けるという。それぞれ子孫繁栄のための方策があるようですね。(いずれも一部翻案)

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(↑上の写真)左=ムラサキサギゴケ、中=オオイヌノフグリ、右=オニノゲシ

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(↑上の写真)左=ヤエムグラ、中=アメリカフウロ、右=ウラジロチチコグサ

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(↑上の写真)青空に新緑が映える広々とした小金井公園

 

国分寺万葉植物園・武蔵国分寺公園・・・令和3年3月9日

 国分寺万葉植物園は、国分寺住職だった星野氏が昭和28年から38年にかけて集めた万葉集に歌われている植物の160種が植栽されているとのことです。隣接する武蔵国分寺公園で木に咲いている花を写しに寄りました。今日の様子です。

(1)国分寺万葉植物園にて

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(↑上の写真)左=武蔵国分寺、中=ミツマタ、右=オウバイ

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(↑上の写真)左=フッキソウ、中=ウグイスカグラ、右=ボケ

 フッキソウ(富貴草)はツゲ科フッキソウ属。本州以北の山地の木の下などに生える常緑の多年草牧野富太郎博士によると、富貴草は常緑の葉とこんもり茂る草姿から名付けられ、繁殖を祝う意味を表している、ということです。花は、一見ヒトリシズカを丈夫にしたような感じですね? 花穂は上部が雄花で、その先は分かれて茶色い葯をつけています。花穂の根もとに白く二つに割れているのが雌しべの柱頭です。雄しべや雌しべのみで花弁はない花ということのようです。これから5月にかけてが花の時期ですから、まだまだ観察できます。

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(↑上の写真)左=境内左側万葉植物園、中=ジンチョウゲ、右=タチツボスミレ

 ジンチョウゲ沈丁花)はジンチョウゲジンチョウゲ属。APG牧野植物図鑑では中国原産で日本では室町時代から庭などに栽植されている常緑低木とのこと。沈丁花という名は、沈香(じんこう)と丁子(ちょうじ)の花の香りをあわせ持つことからといわれますが、香りは沈香で花形は丁子に似るとの説もある、ということです。牧野植物図鑑では日本に生えている沈丁花はほとんどが雄木なので実を結ばないが、稀に球形で赤い液果を生ずるものもある、と書かれています。三島由紀夫著「豊饒の海(3)暁の寺」に(終戦後、箱根外輪山の裾野に別荘を建てた本多と、進駐軍などはものともしない隣家の慶子とが親しくなった頃)「まだ蕾の沈丁花がテラスを取り囲み、テラスの一角の餌場は、本館と同じ赤瓦の屋根をつけていた。そこに群がっていた小雀(こがら)たちは、針で突いたような啼音(なきね)を立てて、近づく本多と慶子の姿を見るなり翔った。」 終戦直後の疲弊した世の中から隔絶した上流社会の別荘の白いテラスに凭れる男女二人の姿が目に浮かびます。辺りの静寂と沈丁花の馥郁たる香りが二人を包み、時折、林の中から小雀の囀りが聞こえてくるんですね。

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(↑上の写真)左=ニリンソウ、中=タマノカンアオイ、右=ショウジョウバカマ

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(↑上の写真)左=ノキシノブ、中=オオバノイノモトソウ、右=ヤブソテツ

 キシノブ(軒忍)はウラボシ科、常緑のシダ。ノキシノブのことを万葉集では「子太草(しだ草)」と呼んでいます。巻11の2475(作者不詳)では「我が宿の軒にしだ草生ひたれど恋忘れ草見れどいまだ生ひず」と詠まれています。現代語訳では「庭の軒下には、しだ草は生えてきたけれど恋忘れ草の方は見ても見てもいまだに生えてこない」となっています。「恋忘れ草」は「萱草(現代でいうノカンゾウ)」です。勝手な解釈をしてみました。「ノキシノブは何もしなくても家の軒下に勝手に生えてくるのに、あの人との恋は忘れたいと思って、忘れ草が生えてくるのを願って願って一生懸命見守っているのに、忘れ草は少しも生えてこないのは何と皮肉なことでしょう」気持ちはわかりますね。

(2)武蔵国分寺公園にて

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(↑上の写真)左=手前がコブシ、奥がハクモクレン、中=コブシ、右=ハクモクレン

 コブシ辛夷・拳)は、モクレンモクレン属の落葉高木。野上彌生子著「秀吉と利休」に、コブシの白い蕾が印象深く描かれています。(聚楽第の利休の邸の庭は、後園の風情で造られ、樹木が多い。)「その中でひときわ際立つのは、黒板塀の彼方の古いこぶしの樹であった。寒いうちは、黄黒い毛のついた鞘に用心深く包まれていたのが、すでにけざやかに白い蕾になった。それとて太筆の穂ぐらいしかまだない。利休は、ただ紡錘型の清明な蕾のみを枝いっぱいに群がらせて立つ姿に、毎年まず早春を感ずるのであった。鶯がすでに整った調子でしきりに鳴いた」と。利休は、頼りにしていた秀長亡きあと、秀吉、三成、鳥飼彌兵衛などとの関係に悩みながら、このこぶしの蕾に眼をやるのでしたね。(一部翻案)

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(↑上の写真)左=サンシュユ、中=ボケ、右=ユキヤナギ

 ユキヤナギ(雪柳)は、バラ科シモツケ属。雪柳というと実話に基づいた三浦綾子著「塩狩峠」を思い出しますね。仏教徒からキリスト教徒に変わった信夫とふじ子の感動に満ちた小説でした。峠を登れず逆走し始めた列車に乗っていた信夫が他の乗客の命を救うために吾身を線路に投げ出し、列車は信夫の上に乗り上げて止まったんですね。「(一緒に現場まで来た兄が声を掛けた)『ふじ子大丈夫か。事故現場までは相当あるよ』ふじ子はかすかに笑って、しっかりとうなずいた。その胸に、真っ白な雪柳の花束を抱きかかえている。ふじ子の病室の窓から眺めて、信夫がいく度か言ったことがある。『雪柳って、ふじ子さんみたいだ。清らかで、明るくて』そのふじ子の庭の雪柳だった」(事故があったのは、二人の結納の日で、ふじ子は、札幌駅で信夫の来るのを今か今かとじっと待っていたんでしたね。そして信夫のまぼろしに抱きつくと気絶するんでした。) 

南平丘陵公園・・・令和3年3月4日

 日野市立南平(みなみだいら)丘陵公園では、木々の風景を見るとまだ冬の雑木林という感じです。その足元を見るとアレアレ!随分春の足音が聞こえてきました。春の野草の先発隊ですね。今日の様子です。

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(↑上の写真)左=コスミレ、中=タチツボスミレ、右=シロバナタチツボスミレ

 コスミレ(小菫)はスミレ科スミレ属。東北南部以南の里山や人家の半日陰の所に生える茎の無い(無茎性)多年草で、葉は根際から束生、ということです。スミレの中で一番先に咲き始めるスミレです。いろいろ変異が多く、ノジスミレ、アカネスミレに似ているものもあるそうですが、葉の形が三角形で、一番先に咲いていたらまずコスミレです。上の写真では、ノジスミレのような葉も混じっていて、?と思いましたが、この春初めに咲いているということでコスミレとしました。

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(↑上の写真)左=ショカツサイ、中=ヤマルリソウ、右=キクザキイチゲ(明日にでも気温が上がれば開葉開花するでしょう。)

 ショカツサイ諸葛菜)はアブラナ科ショカツサイ属。別名がいくつかあります。本年初出なので載せましょう。オオアラセイトウ(大紫羅欄花)、ハナダイコン(花大根)、ムラサキハナナ(紫花菜)、因みにアラセイトウ(紫羅欄花)はストックのことで漢字は中国名だそうです。

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(↑上の写真)左=ムラサキケマン、中=タネツケバナ、右=オオイヌノフグリ

 タネツケバナ(種漬花)はアブラナ科タネツケバナ属。APG牧野植物図鑑によると日本各地及び東アジアから南アジアの温帯から暖帯に分布。水田、溝の畔、水辺の湿地などに生える越年草。和名の種漬花は、苗代を作る前に米の種もみを水に漬ける時期に花が咲くのでこの名がある、とあります。つまり、畔づくりをされる前、稲が育つ前に、花を咲かせ、種をつくり、子孫繁栄を図る戦略とも考えられます。可愛らしい花なのに賢い戦略を考えていますね。

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(↑上の写真)左と中=ウグイスカグラ、右=カンスゲ

 ウグイスカグラ鶯神楽)はスイカズラスイカズラ属。APG牧野植物図鑑には本州・四国の山野に生える落葉小低木、全体が無毛である点がヤマウグイスカグラと異なるが、区別しない意見もある、と記述されています。花後、小さなグミのような赤い液果が熟します。名の由来は諸説あり、鶯を捕まえる「狩り座(かりくら)」が訛ったもの、鶯がこの木の中を飛び回る様子が「神楽を舞う」ようだからというもの、鶯がこの木の中に隠れるようだから「鶯隠れ」が訛ったものなど、どれもそれらしい感じがします。牧野植物図鑑では、恐らく鳥のウグイスに関係があろうがはっきり分からない、とあります。

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(↑上の写真)左と中=アセビ、右=ヤブツバキ

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(↑上の写真)左=(トキワ)シノブ、中=イノデ、右=イノモトソウ

 シノブ(忍)は、シノブ科シノブ属。樹木の樹皮上などに着生する落葉多年生草本。東アジアに広く分布し、沖縄以南の暖地のものには常緑のものがあるということです。吊りシノブとして観賞して楽しむシノブは、今は、葉は枯れて無くなっていて、根茎のみがむき出しになっていると思います。上の写真のシノブは落葉していないので、多分、誰かが台湾産などのトキワシノブを持ち込んだと思います。牧野植物図鑑によるとシノブは忍ぶ草を略したもので、この草が土が無くても乾いてもなお耐え忍ぶという意味で、植物は土を必要とするという前提に立った名である、と書かれています。

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(↑上の写真)左=管理棟とシンボルツリー(クヌギ)、中と右=園路の様子

 

(上椚田橋)高尾遊歩道梅林から「するさし梅林」までの片道60分コース・・・令和3年2月25日

 多摩地区も奥へ向かい高尾遊歩道梅林などはまだ梅も三分咲きといったところ。奥のするさし梅林では、綻びているのは一・二輪といったところです。3月13日・14日が梅まつり(今年は中止)の予定だったということで少し早すぎました。予定日だった前後にはもっと咲いてくれていると思います。関所梅林ではサンシュユの大木が満開で歓迎してくれました。今日の様子です。

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(↑上の写真)小仏川沿いの遊歩道梅林にて

 ウメ(梅)はバラ科アンズ属。梅は「歳寒の三友(松竹梅)」の一つに挙げられています。寒さの厳しい季節=歳寒のなかで楚々と咲いている一輪の梅に独立した意思を持った女性の姿が感じられます。

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(↑上の写真)どれも関所梅林にて

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(↑上の写真)どれも荒井梅林にて、中=箱は梅木を伐った後に置いたミツバチ用巣箱

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(↑上の写真)左と中=天神梅林にて、右=湯の花梅林にて(花が少なく閉鎖中)

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(↑上の写真)どれも、するさし梅林にて

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(↑上の写真)どれも関所梅林のサンシュユ

 サンシュユ(山茱萸)はミズキ科サンシュユ属。中国・朝鮮半島原産。江戸時代享保年間(1720年頃)に薬用植物として渡来し、小石川の薬用植物園に最初に植えられたということです。早春に淡黄色の花を多数つけるので別名春黄金花(はるこがねばな)、また「茱萸」とはグミのことだそうで、秋にはグミのような赤い実をつけることからアキサンゴ(秋珊瑚)とも呼ばれるとのことです。宮崎県民謡「ひえつき節(稗搗節)」は「庭の山椒(さんしゅう)の木 鳴る鈴かけてヨーホイ 鈴の鳴る時ゃ 出ておじゃれヨー」は、宮崎県東臼杵郡椎葉村(しいばそん)地方で、稗を搗(つ)くときにうたわれた仕事歌。壇ノ浦の戦いで宮崎に落ちた平家の姫(鶴富姫)と平家を追って宮崎にやって来た源氏の侍(那須大八)の禁じられた人目を忍ぶ愛を歌ったものだそうです。歌詞のサンシュウは漢字では山椒(さんしょ)で、これを宮崎県地方の方言では「サンシュウ」と読むそうです。サンシュウの木に付けた鈴が鳴れば「今日は会える」というサイン。山椒(サンショウ)の木に鈴を掛けるのは南九州地方の昔からある風習で、神が山椒の木に乗移ると言われているそうです。山椒の木は日本には昔からあったのですが、山茱萸の木は享保年間に渡来したもので、稗搗節が謡われたころにはなかったわけです。

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(↑上の写真)どれも小仏川畔の、左=イノデ、中=オオイタチシダ、右=クマワラビ

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(↑上の写真)どれも小仏川畔の、左=イノモトソウ、中=オオバノイノモトソウ、右=ヤブソテツ

 

京王百草園・・・令和3年2月22日

 京王百草園は、平安・鎌倉時代に真慈悲寺があったところに江戸時代に家康の長男信康追悼のため小田原第2代藩主大久保忠増の正室寿昌院が松連寺を建て、そこに梅の木をお手植えされたというのが、正面にある寿昌梅だそうです。樹齢300年ということになります。樹勢は大分衰えているようですが、白梅を咲かせています。今日の百草園の様子です。(百草園は水曜日が休園日です。写真をクリックすると拡大されます。)

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(↑上の写真)左=入口、中=寿昌梅、右=白梅

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(↑上の写真)左と中=満月枝垂れ、右=園内風景

 徳富蘆花著「自然と人生」(初春の雨)「午前春陰、午後春雨、暖かにして長閑(のどか)に、且静かなり。……梅花は香を漬(ひた)し、椿は紅を流す。麦の緑湿(うるお)いて、山の碧(みどり)煙れり。此雨や如何に春色を催すらん。」

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(↑上の写真)左と中=紅梅、右=園内風景

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(↑上の写真)どれも園内風景

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(↑上の写真)左=マンサク、中=サンシュユ(蕾が開き始め)、右=アセビ

 アセビ(馬酔木)はツツジアセビ属。「APG牧野植物図鑑」によると本州・四国・九州の暖帯の山地に生える常緑低木。Web「植木ペディア庭木図鑑」では、馬がアセビの枝葉を食べると呼吸中枢が侵され、酔ったように脚が不自由になることから「アシビ(足痺れ)」の別名があるという。アセビという名前も「悪し実(あしみ)」から転じたとする説を紹介しています。また、アセビの落ち葉には他の植物の成長を抑制する物質が含まれており、アセビの下では他の植物が育ちにくいこと、葉を煎じて畑などに散布すれば殺虫剤として使うこともできる、とあります。アセビには「アセポトキシン」や「グラヤノトキシン」などの有毒物質が含まれ、ウマ科やシカ科などに嫌われます。これは植物の護身術です、と田中修著「植物はすごい」に書かれています。

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(↑上の写真)左=芭蕉句碑、中=句碑を思わせるような月と梅、右=園内風景

 芭蕉の句「志ばらくは 花の上なる月夜かな」 上の写真は月夜ではありませんが上弦の月が昇って来ていました。

 

 

 

 

府中市郷土の森梅園・・・令和3年2月19日

 府中市郷土の森の梅園は、3月7日まで梅まつりで、この期間は休園しないということです。60種1100本の梅の木が植えられているそうです。まだ蕾の木もあり、八分咲きといった感じです。今日の様子です。(品種名は木に下げられていた表示によります。)

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(↑上の写真)左=白梅、中=一重緑咢、右=玉牡丹

 ウメ(梅)はバラ科アンズ属。弥生時代の遺跡からは梅の種子が発見されていますが、縄文時代の遺跡からは発見されていないので、弥生時代に渡来したものと考えられています。梅の品種は大きく四系統①野梅性②紅梅性③豊後性④杏性に分けられるそうですが、素人には難しい所です。諸田玲子著「今ひとたびの、和泉式部」には「幼い日の多田庄で会うた時から数えれば、四十年かけて実った恋にございます。私(和泉式部)にはこれが最後の恋・・・。二人(和泉式部と壺井大将)はもう一度、いたわりをこめて抱き合った。長元2年(1029年)闇の中に梅花の香りがたちこめている。」と(一部翻案)。恋多き五十をこえた女、和泉式部の気持ちが、ここの梅園で多少なりとも感じられるでしょうか。百人一首に「あらざらむこの世の外の思い出に 今一度の逢ふこともがな」と、載っています。

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(↑上の写真)左=臥竜梅、中=月影、右=小向

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(↑上の写真)左=白加賀、中=八重野梅、右=道知辺(みちしるべ)

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(↑上の写真)左と中=満月枝垂、右=野梅

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(↑上の写真)左=紅梅、中=紅千鳥、右=唐梅

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(↑上の写真)どの写真も梅林の様子

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(↑上の写真)マンサク(満作)3種

 マンサク満作)はマンサク科マンサク属。「APG牧野植物図鑑」によると「日本各地の山地に生え、花は早春、葉より先に開き、前年の枝の節に単生、あるいは集まってつく。萼片、花弁、雄しべ、仮雄しべとも4本ずつ。和名満作は豊作と同じく、枝いっぱいに花を咲かせることによる。枝は折れにくく撓むので、ものを縛るのに用いる。」とあります。別に、春一番に黄色い花を咲かせるので「まず咲く」から名づけられた、という説もあります。早春の黄花三友(ロウバイ、マンサク、サンシュユ)の一つに挙げられています。

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(↑上の写真)左=ハナニラ、中=フクジュソウ、右=オオイヌノフグリ

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(↑上の写真)左=チラノサウルスと手前左は珪化木園、中と右=珪化木

 

谷保天神宮梅林・・・令和3年2月17日

 好天に恵まれ、梅林を訪れました。甘酒をいただきながら、梅林を見渡し、身体が暖かくなったところでゆっくり梅林を観賞しました。梅林の南端の四阿からは遥か向こうに多摩丘陵の山並みが、西奥には雪を戴いた富士山が遠望されました。その間の低地には多摩川が流れていることが想像されます。今日の九分咲きの梅林の様子です。

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(↑上の写真)紅梅

葉室麟著「雨と詩人と落花と」)「松子はおなかの上の(広瀬)旭荘の手に自分の手をそっと重ねた。松子の手の温かみが旭荘に伝わる。これは、命が持つ温かさなのだ、と思いながら、旭荘は詩を賦(ふ)した。『梅の枝は幾所か籬(まがき)を出でて斜めなり  水に臨んで扉を掩(とざ)す三四の家  昨日は寒風  今日は雨  已(すで)に開く花は未だ開かざる花を羨む』すでに開いた梅の花は、未だ開かず寒さを知らぬ梅の花を羨ましく思っているのではないか。」と旭荘は命の持つ温もりを梅一輪に感じたんですね。(広瀬旭荘=ひろせぎょくそう=漢詩人)

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(↑上の写真)白梅

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(↑上の写真)左=谷保天満宮拝殿、中と右=梅林

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(↑上の写真)左=ヤブソテツ、中=ベニシダ、右=トラノオシダ